508mm×610mmくらいの大きさ 1994年の暮れ~1995年の正月にかけて描いたのがこれ 当時12歳 線描きはもうヨタヨタのボロボロでも色が明るいのと なにかに取り付かれたように描いていた姿が強烈! 無理強いはしない! 久美さんの選択肢の一つに『絵』もありを加えた一枚 原画は当時より色が褪せてしまったがいい思い出の絵。 クリスマスも終わり12月30日の誕生日頃から「仏像さんを描きたい」と茶の間を占領し描き出したのです。 色使いが明るく、それを見て『やっぱり絵を描く方に進ませた方がいいな』と考え二人でその事について話すようになった。 「学校に行かなくても絵を描く人になれるの?」と聞かれ 「行かなくても独学でなれる。でも、専門の大学へ行って卒業すると4~5年でなれるかな?独学だと倍くらいの時間がかかるかもしれない。でも学校行かなくても絵を描く人になれる。」と云ってやった。 「私、なれる?」 「なれる!」 とこんな感じで毎日話していたんだ。 嘘は言わない。 赤ん坊の頃から見てきて、絵を描く、色を塗る独特な色合わせ。 だから『なれる』と言い続けてきた。 学校に行かず独学の場合、用語、道具などの種類など最初に知るものを知らずに飛び越してその先卒業後体験で知る事を知ろうとしてこの部分での時間ロスで「学校へ行かなくてもなれるけれど倍くらいかかるかな」と、その辺りのことも深夜まで、納得できるまで娘の“不安”と“疑問”に向き合ってきた。 面倒とか思った事は一度も無かった。 外から見たら『なんて無責任な親』と見えたかも知れないが それも気にならなかった。 日曜日には映画や隣街、買い物と楽しい時間を送っていたし親自身楽しんでいましたよ。 それから間もなく 「なんか別な学校へ行く方法ないかナァ~?」と言い出したんだ。 それから時間をかけゆっくりと話合いをして辿り着いたのが “地域外通学” 「もし、またいじめにあったらどうする?」と娘が一番心配している事を小さい声で聞いてきた。 「次の学校でもいじめにあったら、二人で家のお金全部持って旅に行こう。」 この話し合いも嘘なんか無かった。 だからビクビクしながらも卒業まで登校し高校、短大、専攻科と進めたんだと思っている。 登校拒否から抜け出せた切っ掛けになったような一枚の絵なんです。 人気ブログランキングへ
by obora
| 2009-10-05 00:00
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