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ICC クリエーターファイル
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2010年2月25日・北海道新聞(朝刊)
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by obora | 2010-02-26 00:13
かるちゃー祭@道新ぎゃらりー
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2月4日(木)~9日(火)の一週間ですよ!

場所:
道新ぎゃらりー 
札幌市中央区大通西3丁目6 北海道新聞社北一条館1F 道新プラザ内


「自由に描く!色彩豊かな元気アート」
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by obora | 2010-01-30 00:39
新年のご挨拶
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佐藤久美子
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by obora | 2010-01-01 10:25
ICC クリエイターズ インタビュー 記事掲載されています。


http://www.icc-jp.com/   ←  ここをクリックして下さい。見れますよ。






今現在、いじめに逢っている小・中・高生、きつくなったら、一時非難するんだ。
このインタビュー受けていつ人も、10数年前、いじめに逢い、家に一時避難して、いじめをやり過ごしたんだ。
親は、気持ち良く家を、避難場所として提供しただけだったンだよ。

何年か過ぎると、避難中に思い描いた夢に向かって元気に飛んで歩いている。

『自殺』は駄目!!

精神的に疲れたら休むんだ。
爺ちゃん、バァちゃんの家だっていいし、回りの大人達と相談して『一時非難』して、いじめをやり過ごしちゃうんだよ。
生きていりゃ、絶対いい事と出会える。 

この人も、壊れてしまいそうなくらいの、いじめ体験者だった。

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by obora | 2009-11-26 17:00
指定地域外登校

1995年2月1日からチョット遠い小さな学校へ通うことに
前の日は 久美さん緊張と不安でガチガチ顔色も気持も・・・ブルー
「またいじめにあったらどうする」
って聞いて目は何処を見ているのか前にいる俺との距離60センチなのに見てない
「どうする 行かないか?」と聞くと
「・・・・・・・・」

短い沈黙
「やっぱり行ってみる、でも駄目だったらどうする?」
「ソん時は家のっうか俺の有り金全部もって久美さんと長旅にいく!」
「本と、明日から行くネ」

それからは、その時のために いつでも旅に出れる用意や計算などの作業がビクビク登校と同時にはじまった

今も二人で飲むと
「あん時 長旅に出ていってたらどだったろうな?!」
って話がよく出る
”いろんな意味で旅に行ってた方が良かったかモっ”ての結論でその日はオヒラキ!

ただ今も不思議に思う事は『意を決して』という訳でもなく 登校拒否宣言の時もすんなりと受け入れた自分
そんなとこが『バカ政』なのか?!

地域外登校と一口に言ってしまえばそうなのですが、地域外ですから現在の環境では遠距離登校です。
天気のいい日は自転車で、雨の日や冬はタクシー。
タクシーのチケットを持たせ通学が始まったのですが、タクシーを使う時に学校から電話で車を学校の玄関先に呼んで教員達が色々な面で驚いたそうでした。
それを感知して学校から離れた郵便局前で乗るとか自分なりに行動修正していたんです。

タクシー通学ってお金の問題が発生しますよ。
でも、親が飲んで遊んで、さほど必要でない物を買ったりする金額でお釣りがくる程度の話です。
子どもが崖っ淵に立たされているのに、親、大人(何が大人なんだか?)の都合やエゴで押しつぶそうとするんだ。
その結果、子どもは精神的に病んで閉じ篭もりとかになって反撃される、と思う。

親の勝手な都合を、子どもに生きていく上での道徳のごとく、もう、壊れそうで学校に行けない我が子を、精神の休日をも与えず「お父さんとお母さんは、こんなにもお前の事を心配して言うんだ“明日から頑張って学校へ行け”」って追いつめてしまう。
頑張って、頑張りきれなくて『助けて!』って信号を発しているのに「頑張って行け!」っては無い!
と、今もこれからも思うのです。


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by obora | 2009-11-09 00:38
写仏 ・・・ 般若菩薩
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508mm×610mmくらいの大きさ

1994年の暮れ~1995年の正月にかけて描いたのがこれ
当時12歳
線描きはもうヨタヨタのボロボロでも色が明るいのと なにかに取り付かれたように描いていた姿が強烈!
無理強いはしない! 久美さんの選択肢の一つに『絵』もありを加えた一枚
原画は当時より色が褪せてしまったがいい思い出の絵。

クリスマスも終わり12月30日の誕生日頃から「仏像さんを描きたい」と茶の間を占領し描き出したのです。
色使いが明るく、それを見て『やっぱり絵を描く方に進ませた方がいいな』と考え二人でその事について話すようになった。

「学校に行かなくても絵を描く人になれるの?」と聞かれ

「行かなくても独学でなれる。でも、専門の大学へ行って卒業すると4~5年でなれるかな?独学だと倍くらいの時間がかかるかもしれない。でも学校行かなくても絵を描く人になれる。」と云ってやった。

「私、なれる?」

「なれる!」

とこんな感じで毎日話していたんだ。


嘘は言わない。
赤ん坊の頃から見てきて、絵を描く、色を塗る独特な色合わせ。
だから『なれる』と言い続けてきた。
学校に行かず独学の場合、用語、道具などの種類など最初に知るものを知らずに飛び越してその先卒業後体験で知る事を知ろうとしてこの部分での時間ロスで「学校へ行かなくてもなれるけれど倍くらいかかるかな」と、その辺りのことも深夜まで、納得できるまで娘の“不安”と“疑問”に向き合ってきた。

面倒とか思った事は一度も無かった。
外から見たら『なんて無責任な親』と見えたかも知れないが
それも気にならなかった。
日曜日には映画や隣街、買い物と楽しい時間を送っていたし親自身楽しんでいましたよ。


それから間もなく
「なんか別な学校へ行く方法ないかナァ~?」と言い出したんだ。
それから時間をかけゆっくりと話合いをして辿り着いたのが
“地域外通学”

「もし、またいじめにあったらどうする?」と娘が一番心配している事を小さい声で聞いてきた。

「次の学校でもいじめにあったら、二人で家のお金全部持って旅に行こう。」

この話し合いも嘘なんか無かった。
だからビクビクしながらも卒業まで登校し高校、短大、専攻科と進めたんだと思っている。

登校拒否から抜け出せた切っ掛けになったような一枚の絵なんです。


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by obora | 2009-10-05 00:00
気持を楽にさせた一通の手紙。



登校拒否が始まったばかりの頃
夜の散歩を終え、二人でいろいろな事を話し合い
そして娘が寝つく 深夜11~12時
ひとり酒を飲んで いくら考えても答えが出るはずもないのに
毎日同じ事を考えていた
そんな時本屋さんで見つけた『子どもたちが語る(・・・・402人のメッセージ・・・・)登校拒否』というぶ厚い本

その本の最後に載っていた『親の会・一覧』で
兵庫県の『不登校児と親のための小さな学校』を見て
代表者である松木育子さん(マツキ・ヤスコさん)に
手紙で登校拒否にいたった経過を書いて出した手紙の返信が
『松木さんからの手紙』

この手紙を読み終えた時
なんとなく胸につかえていたものがスッと消え楽になったのを
今も昨日の事のように覚えている

別に力強く叱咤激励の文面でもなく
問題を解決してくれる事が書いてあったわけでもないのに
気持が楽になった
今も大切な『松木さんからの手紙』



当時、藁にでもすがりたいような不安が一日に一度襲ってきた。
不安に襲われる一番の問題は
“自分のとった判断とどのような形で同年代の中に復帰させたら良いのか”
という事だけだった。
誰かこのことを上手くクリアーした人はいないだろうかと数人の人を選び手紙をだして松木さんの手紙はその返信の一通。

とのかく、気持の中にあったモヤモヤがスゥーっと晴れたんです。
物事が解決した。ではなく痞えていたようなものが消えたそんな感じで一人悩んでいた気持が救われた一通。



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by obora | 2009-09-24 00:00
松木育子さんからの手紙

 お手紙ありがとうございました。
遠い地からのお手紙で少しびっくりしましたが、子を思う気持は皆おなじと改めて感じました。
そして同じ不登校の子どもをもったお陰で遠い地の佐藤さんともお手紙でお話することが出来る不思議を感じています。


お嬢さんが学校へ行かれなくなって、さぞやびっくりされたことでしょう。
そして”学校へ行くように、強要した事もなく”見守っていらっしゃるご様子、初期の時からそうされたのはお嬢さんのつらい気持を理解されたからでしょうか。
 子どもの不登校にはそれぞれ理由もあることでしょう。
そしてひとつのことだけなら子どもも切り抜けることが出来ると思います。
いくつかの事がかさなってこれ以上は無理と判断されて、ご自分の身を守る手段として不登校という形を取られたのではないでしょうか。
いくら親とはいえ子どもの限界を判断はできませんものね。
子どもの判断にまかせることが、子どもの決断を見守ることが、親に出来ることなのではないかと思っています。
もしかしたら子どもにとって今までの人生で一番大きな決断をしたのではないでしょうか。とっても勇気のいることだったでしょう。

 

私どもの「不登校児と親のための小さな学校」のことどこでお目に止まったのでしょう。
私事ですが10数年前に子どもの不登校を経験して学んだことを同じ親どうし分かち会いたくて今の場所に開きました。
始めたときから私の一番の願いは、子どもが自分の人生を自分で決断して歩いていってくれるよう、応援するのが親の役目だということを親どうし確認し合いたいということと、具体的な方法を学び会う場でありたいということでした。
ですから「小さな学校」では子ども達は一週間に一度ですが、集まって同じ不登校の先輩たちと、話し合ったり遊んだりしています。
親たちは親たちでお互い勇気づけあい、子どもへの勇気づけの方法を学んでいます。
通信をお送りいたします。「小さな学校」の雰囲気を感じて戴ければうれしいです。



お手紙いただいた尼崎は「小さな学校」の所在地で、一週間の一度だけ行きます為私の手元に届くのが今日になってしまいましたので、お返事が大変遅くなってしまいました。
もしこの次お手紙いただけるようでしたら自宅の方にお願いいたします。





今年も残り少なくなりました。お身体大切に。







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by obora | 2009-09-21 08:47
本当は親も不安だったんだ。


登校拒否宣言のその夜から
『学校へ行かないと ちゃんとした大人になれないのか?!』
『コントラバスできる方法はないの?!』
『勉強したいけどどうすればいい?!』
『カメラも本格的にやってみたい!!』
など など つぎつぎと機関銃のように飛び出す質問
父親自体、判断に』誤りの無い大人 ちやんとした大人なのか、どこから大人でどこまでが子どもなのかって云う分岐点すら判別できないでいる、子どもの見本なっているのかさえ分からないのに自信たっぷりに『なれる!!久美さんはバッチリさ、夢をもって、それをあきらめなければ叶うんだ。 』と言った後自信がなくなって深夜起き出してふさぎ込む日が多くなっていった。


コントラバスは部活 吹奏楽部で小さな体で大きなバスやっていて全道で一位になっていたから続けたかったらしく『だったら一般のサークルを探そう』
『勉強は進研ゼミでやろう』
『カメラは通信教育でやろう 明日もうし込もう』
一つ一つ 待ったなしの答えをだし実行していったのは、気持を前向きにさせてやりたいとの思いと、親もそうすることで不安に陥る気持を振り払いたいという思いもあったんだ。

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『お父さんは私のことを真剣に考えてくれている。お父さんの言う通りに私が頑張れば学校に行かなくたって夢は叶うし、立派な大人になれる!』と信じて疑わない娘の顔を見ると『本当にこれでいいのか?』と気持がぐらつく、それまで止めていた酒をのみだした。
酒に逃げたのではなく一点集中で考えていた事がアルコールでボカシ幾つかの事をゆっくり考えることが出来るようになれた。
それと、兵庫県からの一通の手紙で、不安やモヤモヤしていたものが一気にふきとんでしまった。
素晴らしいアドバイスが書かれていた訳でもなく、励ましの文面でもないのに、体から余分な力が抜けて楽になったんです。


『とぉ~!とぉの布団で寝ていい』
安心しきった寝顔を見ていると
『俺の久美さんへの答え・・・これで本当に良いのか?!』って当然なる
そんな娘の寝顔を見ながら朝方まで酒を飲むようになった。
その手紙の後は徐徐に楽しむ酒に変わっていったんだ。

その酒が今では 自分の為に楽しむ節度のない『酒』になって毎日飲んでいます。
これも あん時のいい おまけかな!

今夜も飲みますよ。 の~む!!





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by obora | 2009-09-19 18:12
迷い道



いままで 友達関係は良かったよ
          
私の小さなわがままも通用していた
でも 今は小さなワガママどころか 意見も言えない

これも まぁ人生の勉強と思って今日まできた
けれど もうそんな勉強など ”無用” だ!

私 クラスの人達を もう怨みません

自分を けなし 嘘をつくことしかできなくなったのです
親に 学校の事 もう話したくない
笑い 話す事さえ
今 すごく重荷になっているのです

今の私 死ぬことはもちろん
勉強 友達 親 話すこと
全部 全部 大変な事なんです

いつも なにかにすがりたくて
いつも 誰かを悩ませていた

私と同じ悩みで苦しんでいる人
話しを本当にわかってくれる人

そんな人 いないよね


(1994・登校拒否少し前・・・・久美子 )



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by obora | 2009-09-17 12:27