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送り返された年賀状





平成8年、娘が ある同じ? いじめ登校拒否の家庭に出した年賀状が二つ折りにされて手紙に同封されて返ってきた。

  『いじめ・登校拒否』 ~21~ 思い込み で載せた地方紙の記事コピーと

  親の自分(俺)に対する批判文の手紙と一緒に




>  今日(8日)、久美子さんの名前で年賀状が届きましたが
  どうやら本人が書いたものではないようなのでお返しします。
  私はこんな年賀状はいりません。
  お父さんはどういうつもりで久美子さんの名前を借りて年賀状をだしたのですか? 
  私達が知らないと思ってこんないいかげんなことをしたのですか?




> 新聞の記事に久美子さんと同じ(女子中学生)学年の子が同じ当別町で自殺したとのっていたのですごく心配していました。










【ここまで読んで手紙を机の上に置き なにがなんだか その先に書いてあるだろう文面を予想し重苦しい時間が流れていた
いったいこの手紙を書いた家で何が・・・そんな事が頭の中で暴風の中の細い立ち木のように脳味噌が揺さぶられ飛びだしそうだったな。】









> お父さんの手紙とともに久美子さんが学校祭の生活体験発表で訴えたという原稿がはいいまし
た。
  これは久美子さんの遺書ではなかったのですか?



> 実は9月25日の夜からショートカットの小柄な女の子が泣きながら
  夢に出てきたり、普段もその子の霊が その日から毎日います。



> あなた方はバカにして笑うかもしれないけどあるんですよね
  あの世にいけないまま「親に捨てられた」と言って泣いているので
  知り合いの霊能者に見てもらいました。
  その人達は、あなた方相談にいってるみたいなただおどり、ただしゃべる法華の人達
  とはちがいます。昔からある自然を司どる神々を信仰して
  いる方々です。その人達にたのんでこの子を仏の道にいれてあげました。


> こんなことをして久美子さんに対して失礼ではないですか?
  今回の年賀状は私達だけでなく久美子さんの心をもふみ
  にじる行為です、たいへん失礼ですよ、


> 親としての責任が感じられません、もう今回のようなこと
  はやめて下さい、
                それではさよなら


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まず、新聞記事の女子中学生を 読んだ瞬間から久美さんと決めそれがドンドン広がり 霊まで出て さらに霊能者にたのんで仏の道・・・・・

”その人達は あなた方が相談・・・・・”っても霊能者とかにすがり相談など思ったことすらない。

子どもの相談にかこつけて、それより親自身の不安を解消する逃げ道として
そういうところに行くのだと俺は思う。
その時はいつだって子どもは二の次。結局は子どもから逃げているのではないか。
ってことで、俺はそんなことは絶対に『せん!』

いじめや登校拒否の家庭では『霊能者に相談』と決めつけて話を進めてくる
この手紙の事を娘 久美さんに見せようか 見せないで黙っていようかと迷ったが
何でもお互いさらけ出し生きてきたんだし『こんな事を知ったてオタオタする奴じゃない』って見せた
予想以上に冷めた感じで「でも、私は生きているってだけは知らせなくてはネ!」


それからは久美さんが直接電話をし それでも半信半疑な様子なので戸籍のコピーと学校から在学証明書をもらい郵送
この事で”いじめ・登校拒否”を体験した している親は皆自分と同じ考え方でいると考えていたのを それは「違います!お前の考えは甘い」って言われたようだし 俺もそう感じた。

『いじめ・登校拒否が10あれば 10のケースそうして20の親の考えが有るんだ』って知らされた手紙でした。

簡単に
「私、学校行かないから!」
「そうしな」
これでいいのか?
俺より先に経験している親の意見を知りたくて何人かの人に手紙を書いたもんで今考えたら焦ってそんな事を知ろうとしなくても良かったのかな?!
結局俺も自分の気持を楽にしたくて 
霊能者に相談する人達と根っこは俺も同じとも知らされた一通でした。

二つに折られた年賀状を寂しそうに折ったり開いたりしていた久美さんが印象的でした。

自殺した 我が子を生きているように年賀状を書いて出す そんな親いる??!!
いないんだよ。そんな親は。

同じ“いじめ・登校拒否”家庭でもそれぞれ抱えているものが違うんだと教えてくれた一通の手紙だったんだよな。


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by obora | 2009-09-15 00:03
思い込み
秋田県の同じいじめ・登校拒否の家庭に藁にもすがる気持で書いた何通かの手紙その中の家庭にだした年賀状と共に来た一通の手紙とその家族の暮らす地方紙にでたこの記事 のコピーがきたのです。

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これを見て我が娘と思い『死んだ娘さんを生きているがごとく・・・・・』という手紙がこの記事とともにきました。

読んですぐは衝撃てきでしたね。

住所が同じなので「そうなんだ」と思い込んじゃったんですね。
ジックリと読んでくれたら違いが分かったと思う、そうすれば確認の手紙で済んだのにね。
悪気があっての事ではないので、生存していると云う証明になる書類を同封し手紙を送り、本人が直接電話もして勘違いであったことを分かってもらえました。

100のいじめ・不登校があったら100のケース 全く同じもんは無い事を知らせてくれた一通の手紙でした。
自分の経験している“いじめ・登校拒否”と家庭での対応で他の家庭の事の考えをめぐらせてしまうのが普通だよな。

最近もブログで打つ文字に「こらっ」って打つ
受けての人のその時の感情でどうにでもとれるし文字だけでは表情が見えないから。

曲げてとる人、そうでない人、10人居たら10の受け取り方はあんだよ。
文字には表情が乏しいから(無い)お互い理解し合うのには長い時間が必要なんだ。

義務教育をボイコットさせている自分に『これでいいんだ』と云う強い自信が深夜一人で考えるとついそに自信がゆらついてしまうんだよ。
それで同じ悩みを抱えている家庭に手紙をだし、揺らいだ自信を屈強な自信にしたかったんだナ。

親の揺らぐ気持を立て直す何かを、この家族に求めていたんだ。
本当は求められても、求めても同じ悩みを抱えているのだから、こっちが間違いを起こしてしまったんです。
救われたくて手紙をだしたのだから。


赤い書き込みは 我が家庭との違いを書いて事情説明の手紙に同封したのです。
真剣に俺達の事考え心配してくれてたんだもんな。
すまない!!




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by obora | 2009-09-14 09:16
クリスマス・プラン 
クリスマスが近くなって、(天井の掃除の頃に書いたもの)このメモを持って二人で買い物に走り回ったのです。
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そんな時は二人とも”いじめ や 登校拒否”のことなど完全に忘れて毎年の事、クリスチャンでもないのにウキウキ ワクワク。
クリスマスでは高校生になるまでプレゼントで俺に騙されていた。
番印象に残っているのは小1の時
「久美さん、今年のクリスマス・プレゼントなくていいかな?」
「いいよ」
これはクリスマス10日前くらい

「お~い政義君、クリスマスのプレゼント 一個もないの?」
「あれっ、この前 なくてもいいって言わなかったっけ?」
「そうだっけ、いいよう」
これは二日前

当日一緒に風呂に入って
「プレゼントは?」
「ないよ」
「わたし 父さんにプレゼント買わなきゃよかった」
このあたりでは少しふて気味。

風呂から上がり体を拭いてもらっている頃は完全に半べそのヤケ気味
「クリスマスなんかなきゃいい」
その後、いつも風呂あがりに行くとなりの部屋に『絶望!!』って態度で足を踏み入れたとたん。
「あれ~っ!これなんだ!」
声は裏返り、涙を拭き拭き泣き笑い
「これ、全部わたしのかァ」
ゆり椅子の上に4個、その足元に6個のクリスマスプレゼント。

1994年の登校拒否なんかなんのその、やっぱり”騙して”やった。
(小1の時ほどではなかったが。)
この娘が描いたクリスマス・プランどうりになりました。

料理は俺がコック。
娘はシェフでバッチリ。

いつもと少し俺にとって違ったクリスマス。
めいっぱい生き生きした顔で楽しんでいる娘。それを見るとつい『どうしてやったら良いんだ!』って 今 思いだしても”ホロ苦クリスマス”
当の本人も思いは同じだったのかな?

でも、思いっきりクリスマスを楽しんで、“いじめや登校拒否”の事なんかどっかに吹っ飛んでいっちゃったぁ~。

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by obora | 2009-09-13 00:00
娘の手紙
【このブログに書かれている“いじめ と 登校拒否”の記事は、1994年から1995年に起きたことで。登校拒否は1994年10月31日~1995年1月31日までで、2月1日から地域外通学で学校復帰。その間の事を書いたものです。】



お手紙どうもありがとう
北海道は道路がツルツルで人も車も大変です
学校へ行かなくなってからは曇った日や吹雪の日などの方がおちついて家の中にいれます
仕事で外へいく人は大変でしょうが
そんな日ってすごくおちつくんです。

『いじめ』にあっていた頃は次のような感じでした

ずうっと我慢しつづけてきたけれど、 とうとうダウンしてしまった
もう駄目みたい
とうとう何も言えず腹が痛いだの、カゼをしいただのと嘘もつけなくなった
友達にも寝坊したとか仮病なんぞもつけなくなった

朝、先生からの電話がなった
嘘もつけないが 本当のこともいえなくて電話に出なかった
お母さんは「情けない」って言った
もう おしまいみたい
進学や友達のことが心配だったけど
今はもう何もなくなった

今までなんとか休み休み、苦しみながら学校へ行っていた
昨日も励まされ行ったよ
でも ひどくなるばかり
私、もう駄目みたい

そんな感じでした。
私のところは家族みんな、とくに父がガップリくみとめてくれてます
父の場合 小さい頃から全校生徒、先生からも除け者にされるという経験者という事もあり すごく私の気持をわかってくれます

学校へ通ってた頃帰ってくると『今日はこんな事があった、あんな事があった』と話していました
と言っても最初は「どうしてそんなヤツらに負けているんだ」とか
「ちょっとでも久美さんにさわったら おもいっきりなぐってこい、俺か跡始末してやる」と無茶なこと言ってましたが・・(それでもけっこう楽にはなりましたけどね)

私が「もう学校へ行かない」と言ったとき
「べつに学校に行かなくてもいいぞ」とアッサリ言いました

「学校を休むのを悩むより、これからの事を考えよう」と
うちの父さんは言います





※手紙の下書きとして残っている物だが何処へ出した物かは不明。
 本人に聞いても覚えていないという。


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by obora | 2009-09-11 18:00
本人の書く話・・・天井の掃除
はい。娘の佐藤久美子と申します。本人です。
これからチラチラ、父の言葉足らずな文章に付け足す形で書き込みをいたしますのでよろしくお願いします。


天井の掃除の話。
昼間外を歩く気になれなかった私は、その代わりもっと色々したくなりました。
本を読むこと、映画を見まくる事…一人遊びを徹底してやりたかったんですね。
将来への不安なんて別に無かった。一番の悩みが『学校へ行くこと』だったんだから、
それ以上悩む事が無い。
そりゃあ、天真爛漫・天下泰平とまでは行かなかったけれど、
十分外敵から守られた場所にいるんですし、
当人の悩みはとりあえず解決。将来のことは考える余裕も無かったので考えませんでした!
うちにいていいよ、と両親からのお墨付きで家にこもっているんだから、小さな時みたいに一人で遊ぼう。

まったく私は掃除が好きだ。
しかも強力な洗剤を使った掃除が好き
小学生の頃 お昼休みに一人トイレのタイルにある黒かびをひたすらサンポールで
漂白しまくり、同級生に気味悪がられた事があったっけなぁ。
あのジュワジュワっと泡を吹かせ、くっきりと白くなる目地をみるとお尻がムズムズするほどの快感が走る!

昔父母叔母は家でスパスパモクモク煙草を吸いまくっていた。
私が生まれてからそれはなくなったものの、何年にもわたって燻された壁紙,天井は白をベージュに染められている。
そこを試しにマジックリンでふき取ると…なんときれいになる事か!!

父が帰宅して、真っ白な天井を見上げる。
「おおっ…お前よくやったナァ!」そう喜ぶ顔を思い浮かべる。
よし頑張るぞ!と引きこもりの子どもも気合が入るというもの!!
ガスタンクと茶箪笥を足がかりにして楽しく拭いていたものの…
だんだん首がつらくなってきた。痛い…
脇の下痛い…いったん下へ降りて改めて天井を見上げると…唖然。

あんなに脱力した事はない。
3時間やってまだ角の部分しかふき取れていないではないか。
しかしそれ以上にマズイのは、あまりに拭いたところが白くきれい過ぎるのでした!!


はしごがあったって、このうちが狭いからって どうやって天井全面をふき取れというんだ!!

父が帰宅して部分だけ真っ白な天井を見上げる。
「おおっ!お前…この天井どうしてくれんだこのヤロー!!
家にいていいとは言ったけど何でも馬鹿をしていいだなんて誰がいったんだァ、ゴラッ!!」 

そんなバカな。掃除をして怒られるなんて考えられない。
漫画『動物のお医者さん』でも似たエピソードがあったけど
あれは戸棚で隠せたからよかったんだなぁー。
マズイ。どうにか誤魔化さなければならない。

脚立と、水彩絵の具と筆を持ってくるのに10分も掛からなかった気がする…

めでたく「頑張って掃除をしたんだけど、ここまでしかきれいにならなかった」という事で上手く家族を騙すことに成功したのでした。

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それにしても我ながらすごいのが、そこを引っ越すまで4年間誰にも気づかれなかった事!!
荷物を全部運び出してしまってから、父に打ち明ける。
「…いい事教えてやろうか」
「なんだよ」
「この天井さぁ、一度真っ白にした後、あたしが絵の具で描いて汚したんだよね」
「えぇ!?おまえ本当かよ」
ここで怒られないことを確信して
「あはははは、今まで気が付かなかったんかい!だーっはっはっは。バカめ。4年間もひっかかってら」とふんぞり返る。

「久美さんお前バカだけどすごいね」といわせたのでした。
ホホホ。黄金の右腕、と呼んでくれ。

(久美子記す)


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by obora | 2009-09-09 11:41
クリスマスの用意
クリスマスが近づいたある日、家に帰ると茶の間の天井が一部ザラッとした感じでタバコのヤニがとれている。
「あれぇ、どうした]と聞くと、
「クリスマスが近いから洗剤をつけて拭いてきれいにしようと、少しやってみたけど広すぎるな と思ってやめたサ」
いくらなんでも無理だと思い「よくチョットやって止めたさ、もっと広く拭いてたら2~3日皆でかかるもな」

その事はそれっきり忘れて4年後 家を買い引越しの用意をしている時
ニタニタしながら「いい事おしえるか?」とあの茶の間の天井に目をやりながら横に近づいてきた。
なんの事か分からないし「あれか?」と聞くともう可笑しくてしょうがないと云った顔をしている。
「あのサ、あれ私が描いたの」
と言われてもピンとこない。

「だからサ、あん時結構広くふいたの! でもこの広さを拭きとれないと きずいて、絵の具でもとの汚れを私が描いたの」
近づいても分からない「本当かよ」と言うしかない出来按配でポカンとしていると。
「バ~カ!分からなかったベ、どうだ! うん」と得意満面。
もう一度真下にいって見上げても、やっぱり 悔しいが分からない。
「久美さん、お前すごいね」って言うしかないでしょう、こんな場合は。
『4年間も』と思うと、思いっきり悔しいのと 登校拒否で家にいて結構凄いことしてたんだと、いい意味での騙された悔しさでした こん時は。

今でも(2009年)騙されることがあります。
無地のメモ用紙にサラッとカット画を描いていることがあって、
『格好いいメモ用紙だナ』と何日も思って見ていたら
「電話の間右手が退屈だから描いたンですよぉ~」

この天井の話は、登校拒否期間中の沢山あった楽しい思い出の一つです。


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by obora | 2009-09-08 08:32
1994年11月4日・・・小樽
5日目に、二人で列車で小樽へ出かけた。
とにかく歩いて 歩き回った べつに落ち込んでではなく近くの街なのにめずらしくて、列車の中では 漫画本『うる星やつら』を読んで クッ クッと笑いをこらえて、コンと俺の足を軽く蹴って、その面白い場面を耳打ちをする。何度か続いて無視を決め込むと、今度は耳をつまんで しっぱり 又も耳打ち、学校へ行かなくなって本来の明るい娘にもどってきた。


天真爛漫とは こいつのことか?というほど明るい、明るいだけに ”どうしてやったらいい” との少しの親の部分でそれが時々頭の中をかすめた。
このとき親というより、ちょっと先輩で喧嘩もする友達として生活をし育って本当に良かったとおもあったな。

食べて、飲んで、買い物を二人の気分まかせに買い、最後には、車ではなく列車で来たことを忘れ大きなクマのぬいぐるみを買ってしまい、どっちが持つかで道路上でワイワイ、この頃には二人共“いじめ・登校拒否”のことなど忘れていた。
「久美さんのクマなんだから自分で持つの」
なに言ってんの、あんたがお金払ったんだから、あんたが持つの」
なんて騒ぎ、結局、ブッ!!俺が持て歩くはめに、さぞかし似合ったデしょう。

帰りの列車の中で、こんな会話。
久美さん、お前、○○だとか ××、にくたらしいか?」
「うーん、そう思わない」
「そうか~?」
「学校や、先生、グループが皆同じ行動を取らせようとするのがイヤ」
「たとえばどんな事よ」
「オシッコするのにサ、グループ全員でなんだよ、したくなくても だよ」
「それ、おかしいな」

そうして、会話がとだえると
「おい、政義君!なんで黙ってんだ!」

久美さん、あんたが俺の立場になつた時、なんで黙ってしまつたか、分かってくれますよ!
そうですね、母親になったらサ!
ならなくても、数年あとに、わかりマすョって、学校復帰より同年代の中にどうやって戻したらいいのかそればかり考えてんのさ。

家に帰り買った物の展示会です。
小樽での事を家族に話して聞かせ将来の夢を語り毎日賑やかだった。

この頃、自分の持ち金全部郵便貯金にして二人で日本中旅をして新しい居場所を探そうと決めていたんです。

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(この時読んでいた 漫画本は 『いなかっぺ大将』だったと本人からチェックが入りました)

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by obora | 2009-09-01 17:02
『 先生への不信 』
小学校一年のとき、私の作文が文集にのったのに、 見て、びっくり。
私の書いた文に、かってにつけたしがあったんだよね。

『まるで、かわいい、えりちゃんが、うたっているようです。』

そんなクサイ言葉、一年生の私がかくか?
文集にのったときは、うれしかったけど、
すぐ興味をなくしたのをおぼえている。
それ以後、全然うれしくなかったし、
あんなの、私の文じゃない。
「ひどいよ、先生」って、すごく思った。
あの一行で、皆に馬鹿にされた。
あの一行で、どれだけ悩んだか。
そんなことを、知ってて書き加えたの、先生。



前歯の抜けた口で「ここ、先生が書いたサ」ブフッとした顔で、その箇所を指して言っていたのを覚えている。
この事を切っ掛けに先生イコール学校に不信感を持ち始めだし、
学生生活が終わるまで、それは変わらなかった。
右ならえに反発する性格も大きく影響したと思うが、学生最後まで教師、教授がバタバタしたのも事実。
『いじめと登校拒否』にも、このことが有ってねずいた教師に対する不信から子どもを精神的に落ち着かせようとするうえで一番厄介な事でもあった。

中学校でいじめに遭い教師に相談し、その都度一時しのぎの答えで安心し、次の日にはその約束が守られていないと知って教室の中で更に追い詰められるといった毎日。
登校拒否をして家に篭るのは同級生の“いじめ”からよりもそんな教師の目の前から逃げ出した。
日中、娘が一人で家に居るのを知って訪問しドアを開けるよう声をかけたり、ドアの覗き穴から覗くと担任の教師が立っている。そんな日家に帰ると精神不安定になっている娘が玄関に立っていて担任教師の家に電話をし家庭訪問をしないよう告げるが答えは“無言”
「あんたにも子どもがいるんだろう?」と個人的なことを聞くと
「います」と答えるが学校がらみの話には“無言”
本当に教師と話をしているのかナと首を傾げてしまった。
いじめと登校拒否で一番の難関は学校を含めた教師の言動。
校長や教頭そして教育委員会の元教師の指導員達から親に不用意な言葉は慎むように言われていたのか?
“いじめ”の初期に家に訪問して娘と叔母を前にあんなに雄弁だった教師が。
その時襖一枚隔てた処で会話すべてを聞いて『こんなに自信たっぷりと、約束して大丈夫か?』と心配するくらいの約束をして帰っていった。
結果はなに一つ約束は守られていなかった。

親が冷静に判断して『子どもの精神安定を得るため家庭訪問は控えてほしい』といったらそのようにしてほしい。
登校拒否と同時に校長先生や教頭先生から「家に伺ってお話をしたい」と電話がきたときも「子どもの気持が落ち着くまでは家庭訪問は控えてほしい」と言って向こうも了解してくれたのに守られていなかった。
子どもの事で動いているようで主役の子ども不在の騒動だった。今思い返しても『子ども不在騒動』。
学校側が“いじめ”問題を速やかに解決した例はあれから14~5年経ってその間も現在も聞いたことがない。
新聞、テレビなどの報道で知るかぎり現在もぜんぜん変わってはいないようです。
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by obora | 2009-06-23 16:01
パンフレットの表紙
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北海道新聞(道新)文化センター 2009年夏のパンフレットの表紙の絵を元いじめられっ子だった人(このブログの女の子)が描きました。現在プロの絵描き屋さんとなって元気にバリバリ動き回っています。
いじめにあっているときも『私、絵を描く人になりたい。』と小さな、本当に小さな夢がいじめに苦しむ娘を救ってこれた部分は大きい。願いに助けられたんですね。
今、絵が色々な所に(海外を含めて)本人を連れて行く。絵が色々な人と引き合わせてくれる。
この頃やっと絵を描くことを応援賛成し続けたこと。『やらせていてよかった。』と本心思えるようになつたし、本人も「わたし、絵を描いていてよかったぁー。」と言います。
同じ年頃の子がゴールデンウィークだ合コンなどと若いエネルギーを発散させている時期作業机に向かって絵を描かなければならない。
その内、絵が若さを発散させるような機会を与えてくれると、親は思い信じています。
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by obora | 2009-05-25 09:13
ロータリークラブ
2009年4月30日、【札幌東ロータリークラブの例会】でのスピーチを依頼されその原稿がこれ。大体このようなことを話したそうです。「一番受けたのは、あんたの話のところでした。」って、またネタにされていました。

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                           (写真が消えたんでこれに差し替えました。)



【本文】
こんにちは。当別町に住んで活動している、佐藤久美子と申します。

仕事はイラストレーターの仕事をしたり、「こういう作品を描いてほしい」と注文をうけたり、描き方をおしえたりしています。

普段は、6畳間の狭い部屋で一人細々とやっているものですから、滅多に大勢の人の前に立ちませんので、緊張しております。宜しくお願いいたします。


何屋さんですか、と聞かれたら「絵描きです」と答える私も、プロとアマチュアの線引きを、どこですべきか自分でもよく分かっていなかったりします。

なぜなら、資格も免許もないですし、「私はアーティストなのよ」と宣言すればそうなるわけです。全くの自己申告制。

たまにそうやって作品を公開している人をみると、「まいったなぁ」と恥ずかしくなることもしばしば。なので、突然「画家の佐藤さん」「アーティストの佐藤さん」などと紹介されると、ドキッとしてしまいます。本当にこの方、そう思ってくれているのだろうかと、勘ぐったりしているのです。私はラッキーなことに、必要としてくれる人がいて、何とか仕事として出来ているので、良いのですけれど。それを自分の基準とさせていただいています。





今はネットが普及して、私もその恩恵を授かったひとりです。

どこにも所属していないため、どうやって作品を一般に知ってもらえるかを考えてとった手段が、ブログでした。なにかのキッカケになればと願い始めたものです。

一番初めに実際に展示したのは、南区の山奥。雪深い12月。

だれも来やしません。



その案内ハガキを、たまたま北海道医療大学の先生が見て、「うちの施設でもやってよ」と誘ってくださりました。二回目が、当別駅前「歯の健康プラザ」という、あの、歯医者さんの診察台がある部屋だったのです。気負わない施設でしたので、近所の人たちが遊びに来てくれて嬉しかったです。案内ハガキは、出版社からの初仕事へも繋いでくれました。

その頃、私は全くの無職。学校も辞め、バイトもしない、いわゆる一つのごくつぶしです。ただ、親に「5年間時間をやるから描き続けろ」と勧められ、その約束を黙々とやる日々を送っていました。

よく考えなくても、私には絵を描く以外とりえは何もありませんし、
両親もわが子ながらよく分かっていたのだと思います。
よくやらせてくれたものです。



実を言うと、ギャラリー、とれっきとした場所で展示をさせていただいたのは、去年10月に行った、ギャラリー・エッセさんが初めてでした。

それまで石狩市、当別町、江別市と、呼ばれれば行くドサ回りと変わらない活動をしていたのですが、展示をすると、次へのステップを得ることができたのですよね。好きな絵をとにかく描いてさえすれば、不思議なことに色々付いてきてくれる。欲しいものも、やってみたかったこと、いってみたかった場所、すべてですね。ここにこうして立たせていただいているのも、絵を描いていなければありえないことです。





いままで展示をしてきて感じたことがあります。
絵というものは、世間にとって、特別なもの、日常じゃないもののように捉えている方々が非常に多いようです。ギャラリーへ足を運ぶことにも慣れていないようで落ちつかないそうです。



私の個展でいつも嬉しいのは、その慣れていない人たちが立ち寄ってくださったこと。普段一緒のテーブルに座っておしゃべりすることのない人たちが、輪になって、頂き物のおやつを齧りながら楽しくしている様子は、見ていると興奮してしまいます。自分の作品が、出会いのキッカケにもなり得るのだと。とてもいい光景なのですよ。


依頼される仕事の中に、全く未知の世界もあります。

それは何かというと、ケイバの雑誌。
私は、ギャンブルは全く知りませんし、競馬もやりません。
毎月変わるエッセイにつけるイラストを描くのですけれど、その下調べがとても大変です。
幸い父が、ケイバ好きなので・・・全部任せています。すべて下調べをさせています。喜んでやってくれます。

ただし、あの人の場合、「勝った・負けた」の馬券専門なので、少々頼りないのが玉にキズ。



すると、●年のG1レースを走った●●となったとき、それが何着で、何番で、騎手の勝負服と帽子はどんなデザインの何色かが、問題になります。

父は「コレでいいんだ、俺が調べたんだから合ってるんだよ」なんて太鼓判を押し、信用して描いて出したら全くハズレ。出版元から手痛くダメだしを受けることもタビタビありました・・・。

今では苦手だった馬も、よく分かるようになりました。
動物解剖図を見ることも多くなって、描くにも色々研究中です。





あと、玉響という和食料理屋さんにもお世話になっています。
そこのHPにのせるもの全て私の絵を使ってくださって、10月の個展にも協力してくださったところで、感謝しきれません。

取材に行くと、スケッチ用と、試食用の2皿が必ず出てきます。

三品の場合、6皿でてくるのですね。

はじめは空腹で辛いのですけれど、それが楽しみでもあります。
緊張しすぎた私を気遣ってか、お酒も出してくださったこともありましたが
逆にベロベロになって帰宅して母に叱られたこともありました。
私にとっては、ちょっと特別な仕事の一つです。



オーナーが同じである、道庁塔屋にある「たかはし料理店。」にも、少し関わらせていただきました。あそこの壁は全面ボードチョーク用になっていて、是非、そこへチョークで描いて欲しいとお願いされたのです。

閉まっている土曜の夜に一人のぼって、怖かった。しかし、作業をし始めると楽しくて仕方ありません。子どものころ、やって叱られたことを、28歳になってお願いされて堂々とやれるとは夢にも思いませんでした。





私にとって、もし「夢」「魔法」という字を当てはめるなら、まさにコレがそうなのではないかとさえ思うこともあります。夢みたいなんです。
お渡しした紙にも印刷しているように、「1分1秒でも絵をみてもらえて、生活の中にあると、なんかいいよね、飽きないね」というような絵をこれからも仕上げていこうと思っています。よいと感じたものの上で、紙の上で沢山遊んで、世界を広げて行きたいなと、願っています。

どこか心に感じるところを誰かが拾ってくれたらこれほど嬉しいことはありません。

  

(了)
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by obora | 2009-05-14 08:44