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94’10/31 ~ 95'2/1  ・・・  (2) ・・・ 『始まった』
しばらくすると、プールひ泳ぐ人がいっぱい集まってきた。
その賑わいのなかに、私がかって六年生の時に、新一年生の世話をしてあげたことがあって、その子が小学三年になりたての角山くんの姿もあった。
「あっ、おねェちゃんだァ」と駈け付けてきて、「おんぶしてくれ」とせがむ。再び皆の中に戻り、その子から逃げた。
すると逆に、おんぶりリレーはじまるという、逆効果となってしまいリレーが終わるなり、私は皆の輪の中からはなれた。
この時、少し『嫉妬』をしているんだろうなァ。
今、時間をかけて良く考えると一人で泳ぎたかったから、皆の処からはなれたのではなく、皆がどれだけ私のことを思っていてくれているか知りたかったので、そうしたのだと思う。
それは、『自惚れ』と『嫉妬』から出た行動だったんだ。
当時の自分に、そういう気持が心のすみにあったのかなァ。
きっとそうなんだよ、今の私がまだそうだとしたら駄目だな、まったく。
今は『登校拒否』しているけど、何ていうか、こうやって自分の性格を考える時間があったってことは良かったと思う。

せっかく皆で泳ごうとしていたのに、結局一人で楽しんでしまった。
向こうの世間話も終わったらしく、森下さんや長谷川が「うちら、もう帰るから」と、バイバイを言いに来た。
一人相手にされなかったような感じの悔しさと、何て薄情な奴だろうという思いがして、「へえ、あ、そう、帰ればどうぞ!」とぶっきらぼうに言いはなってしまった。
「バイバイ、久美ちゃん、バイバイ」
この時点で長谷川達は怒っていなかったんだ。(そんなに)

『皆、私より先に帰るなんて』と思ってヒョイとふり向くと、工藤さんが後にいる。
ビックリしたけれど、以外と落ち着いて「どうした。帰ンなくていいの」と聞くと、「うん、久美ちゃん心配だから」と言う。
5時くらいまで、ずっと泳いで帰りに片岡(薬と文房具の店)に寄って、おやつを買い二人で食べながら帰ってきた。

今になって良く考えてみるとそうなんだ。この後の帰り道、森下さんの口からあのポッともらした事が出たんだ。
『いじめ』のことについて考えていた始めの頃は、学校へ行かなくなってまもないこともあったし、ふくざつな部分んてよくわからなかったけど、おちつくと、あのゴタゴタが、なんか良く見える感じ、あの時私一人なにも知らなかったみたい。
そのせいでパニック状態が続き事態を一層悪くしていったんだァ
アァ!!

次の日、学校へ行くと何やら長谷川の様子が変だ。ムッツリした顔をしている。
朝に会っても、「おはよう」も言わない、ほかの友達も長谷川と同様に変だし皆の所へいっても『なんでコイツがくるの』という顔をして去ってゆく。『えっ?えっ?』頭がうまく回ってくれない。
『どういうこと!?』
『なんでぇ!?』
と半べそをかきながら、わけを森下さんに聞いた。
「これも全部、久美子ちゃんしだいなんだよ、久美子ちゃんが、きちんと謝るか謝らないかできまるんだよ!」と厳しい口調で言われた。
『あ?』理解できない。
『どうしたっていうんだ?あっ、きっとプールのあの態度のことでだろうな。でも・・・・・、どうして!?』
一時間目が始まり、イヤ~な雰囲気で授業を受ける。プリントを前から回され、長谷川の前の席なので、長谷川にプリントをわたさなくっちゃならない、渡す時はにらまれながら、ひったくるように持っていかれる。
「後からプリント集めて下さい」と言われ同じくにらまれる。
わけが分からないまま苦しくて、悲しくて、泣きじゃくって、とにかく謝ろうとしてサッちゃんの所へ走っていった。
恵美ちゃんとサッちやんは、昨日は学校でしか会っていないし、もっと別の理由で怒っているのだろうと、そう思った。
本当はもっとも怒りをあらわにしている長谷川に最初謝ればよかったのだが勇気が、どうしても勇気がでなかったから後にしようと逃げてしまった。

「サッちゃん、私のこと怒ってる・・・」そこまで言うと、
彼女は、「うちら、久美子ちゃんに、気ィされる様なことしたっけ? 皆に謝んないと、どうこううちに言われても困るし、うちだけに謝られてもねェ、皆すっごく怒ってるよ。ねェ森下さん」と近くにいた森下さんに声をかける。
もう泣く事しかできなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
まわりの人達が私を見ている、「どうしたの」とかいっているのが聞こえる。
「泣かれても困るよねェ」と苦笑いしているサッちゃんがぼやけて見える。
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by obora | 2008-12-21 09:14
1994年10月31日~1995年2月1日 ・・・  (1)・・・『予感』
私はすごく(今もそうなんだけど)悩んでいたあの事件のはじまりは、今から6ヶ月くらい前になる。
中学2年生になって、C組となりクラスが変わったばかりの頃は、クラス全員仲良くしてた。
その時期はグループも新しくなったし、『あぁ、このクラスになれてよかったぁ~!』って思ったし、楽しかったな、本当に。
それまで私もいた新しいグループの中にも最初の頃はいろいろあって、一度など長谷川由美と松川恵美って子たちの仲間割れがあった。
その二人の話を聞いて仲直りをさせたことがあった。
本当は余計なおせっかいだったのかも?だって、その後で自分が攻撃されるんだから。

いつも、くだらないことでゲラゲラ笑っていた。そういう人が真面目になって相談してくる、話を聞いてだんだんその人の性格がわかってきた。
『こんな面をこの人はもっていたんだ』ってビックリしながら相談にのってた。
でも松川恵美ちゃんはともかく、長谷川由美の恐ろしい考えにはゾッとせずにいられなかったな。
「徹底して、松川恵美ちゃんを一人にさせてやる」と言って、それを実行しだしたんだもの。
私が相談にのって二人の中に入ったからかどうかってこと、今になっては、どうでもいいし、はっきり言ってわからない。
でも、結局あの二人は仲直りしたけれど、なんだか急に不安になった。
『不安』てより『予感』がしたっていったほうがいいかもしれないけど、直感で『いずれ私もこの人にいじめられるな』って、はっきりとわかってしまったような気がしたんだよね。

4月は順調。5月は20日ぐらいまでパーフェクトだったし、けっこう楽しい中学校生活を送っていたんだ。
その楽しい学校生活だって、たまたま運が良かったのかな、要するにワガママになっていたんだよ。
今の私なら普通に耐えられる事なのに、些細な事で(当時の私には、すごく腹立たしい事だったに違いないのだろうけど)すぐ怒った。
そして細い平均台のような、あやふやな『運』から、おっこちる寸前とも知らずに、そして、問題の暑かった27日をむかえちゃった。
プールに入りたい友達をさそって小学校のプールへ行こうって思って、サッちゃんと恵美ちゃんをのぞいた4人(サッちゃんは用事があって、恵美ちゃんは家が遠いから)を無理矢理さそって、2時頃に待ち合わせをした。

待ち合わせの場所は、アラキ写真館の踏み切りにした。
最初は、私と工藤さんと長谷川の三人だけで泳いでいたんだ。
林さんと森下は遅れてきた。
んでもって、林さんの方が森下さんより一足早くきた。
「あっ、バッコがきたっ!」皆の反応は、まずこれだけだった。
誰も迎えにはいかなかったよ。
でも、森下さんが来ると・・・・。
「うわぁ~森下さんだ。」「キャァ、森下さ~ん。」
皆一斉に迎えに行った。まるで芸能人、アイドルのようだったナ。
私は一人プールで浮いていた。
『大勢でいかなくたっていいだろうになァ  ・・・ 』って思いながら。
(いつも森下さんは、ひいきにされるんだよね。)
森下さんが来るとプールは途端に、おしゃべり会に変わった。
皆はプールサイドにかたまって世間話に花をさかせているではないか。
泳ぎたくて来ているのに、と思って一人でいろいろと苦手な前転、後転などいろいろ練習しながら泳いでいた。
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by obora | 2008-12-19 09:00
『またしてもブログ内容変更で再スタート』
gooのブログ“バカ政がいく”で『いじめ・登校拒否・通学復帰』の体験を思い付くままに、他の記事と共に載せてきましたが、そのいじめ体験から14年が過ぎ、当時学校、部活、友達、いじめの始まりなどを書いた娘本人の文書が部屋の隅から出てきたのを機にその文書とブログ“バカ政がいく”に載せている記事を整理し、14年という時間経過を経てもう一度振り返ってみようとこのブログをまたまた再々リフォームしました。  上手くまとまるかどうか?
『いじめ』が原因で『死』と云うのを一つでも防げる事にこのブログが役立ってくれたらとの思いは強いのです。
一歩間違えたら娘の身におきていたであろう事なので、テレビ、新聞、ネット上のニュースなどで知る『いじめ』による“死”を知る度にやり場の無い怒りや空しさを感じ、自分達の体験を知ってもらい生きているってこんなにも素晴らしいことなんだと、ほんの少しでも感じ取って“死”を回避ししてくれたらと思っています。本人だけでなく親、兄弟家族、友達が皆が少しでいいから感じてくれたらと思うんだ。そうなる事を願ってます。
14年後の現在、娘は絵描きとして確実に“いじめ・不登校”の時語り合ったた夢を引き寄せています。
「あの体験があって今が有る」と「いじめを体験して良かった」と本心で感じ毎日元気ハツラツとした生活を送ってる。
10数年で自分の命を自分が絶って駄目だよな寿命を全うし死ぬ経験を自分で奪っては勿体ないじゃないですか!?。

新しく見つかった娘の文書は登校拒否をして親が「あの時はどうだった?それでどうした?」と聞き正していく事に抵抗があり「今までの事思いつくままに書いてみたらどう?」と勧めたのが始まりで、親子が顔を合わせたらこれからの事を話して話まくった訳。
どうしても“いじめ”の経過を問い正すって事は尋問・取調べ風で出来なかったし、これからの事を話す事で二人の持ち時間はいっぱいだったのも確かだったのです。

           (文中に登場するクラスメートの名前は娘本人以外全員仮名です)
 
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by obora | 2008-12-18 16:00