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『 夜の散歩コース 』
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                                                     小樽運河


登校拒否 6日目の夜から散歩がはじめました。
日中は家の中なので 運動不足解消もかね本音を聞けるかなと、そんな思いもあって 一周く4㌔強のコースを2時間~2時間30分、時には立ち止まり話し込んだりして3時間以上かけて歩く。
当時住んでいた家を出て消防所の隣の酒屋さんか、斜め向かいの商店の自動販売機でお互い好きな飲み物を買う。
「わたし、あ・ま・ざ・け ~っ! 酒だもんね」
「子どもがお酒をのんでスリル」
「な~んだ、アルコールなしか」
と、ひとり はしゃいでいる。
体当たりをしてきたりたり、首が痛くなるほど星を見てたりして昼日中なら、いかれたノッポとチビ親子、悩みや問題なんて無いような馬鹿っぷり。

散歩道も半分来た処から自然と将来の『夢』の話に いつもなった。

「久美さん、将来どんな仕事したい?」
「う~んとネ、絵描きさん。写真撮る人もいいナ」
「写真館しらいたら、わたし『いらっしやいませ』ってコーヒーとかお茶だすのさ、お菓子もネ」
こんな調子で話はドンドン実現不可能な方へと脱線していき最後は大笑いしだすと家の明かりがボンヤリと見えてくる。

親の頭の中は、一緒に騒ぎながら別の事を考えていた。~同年代の中に、どうやって帰したらいいのか?と、この事で頭の中は いっぱい だった。 友達や先生の事は話題にならない。きっと娘の頭も同じだったんだと思う。

ある時「学校行かなくても絵描く人になれるかナ?」
「そりゃ、なれる。独学だったら時間が掛かるな、美術の専門の学校へ行ったら半分かもっと早いナ、きっと」
「どうしたらいい?」
こんな話から、まもなく「別の学校に行けないかな」と言いだし、
『地域外登校』(暖かみの感じられない言葉)を考えるきっかけになっていったのです。

この散歩で話した『夢』が今、叶いつつある。今年2006年3月の個展で、来た人のいろいろな紅茶(スリーランカの)とクッキーをだし、一緒にお菓子をつまみお茶を飲み絵の話をしていたのだから、その後の個展でも差し入れのクッキー、ショートケーキなどを食べお茶を飲み話に華が咲くそんな楽しい個展会場となっています。
絵も売れだし、仕事も舞い込む、イラスト・レーターの、画家のと名前の上につくようになった。今でも甘酒の缶を見ると 散歩の楽しい話をいろいろと思い出す、なぜなのか分からないが『楽しい』 気分になって頬が自然にゆるんでしまう。 確かに苦しい事もあった“いじめ”と登校拒否経験でも「今、あの時の事を思い出して正直楽しかったナ、学校を休んだ瞬間から、夢というか目標がバッと見えてきたしネ」と時々、振り返って言っている今、あの時スッと休ませて良かったと思っています。良かったと。

(地図は、当時本人が描いたもの)
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by obora | 2009-01-31 00:35
1994年10月30日・『私、もう駄目みたい』・・・を振り返って
この文書を読んだ時、『ここまで追いつめられていたのか』と、自慢できる親密な親子関係だと思っていただけにおおきな衝撃を受けました。
1994年10月30日、 この日の夕食に、右側に座った娘は、青白い顔をして目線も定まらず 小さなため息ばかり漏らし続けるだけの ちっぽけな女の子。
箸に付いたと云った感じに摘まんだご飯を、口にはこび2~3度噛んでは下を向いてしまう。
『いじめ』が始まった頃から見てきて、ここら辺りが限界と感じ、
「俺は、学校、学歴なんて、生きていくのに、そんなに関係ねェと思ってんだ」
それを言うと同時に、パッと顔の色がうすいピンクになり以前のような食欲。
何かが、ふっ切れたのだろう。きっと『あ、私、助かったア』と思ったんだ。

学校では仲間外れのいじめで居場所が無い、自分で考え『いくら何でも言い合える父さんでも、義務教育の中学校に行かないという事は許さないだろう』と考えていたと知って驚きと、一番信頼されているはずと自負していた自信がグラついてしまった。

とにかく、間に合った。
『もう、いじめの標的にされ居場所のない学校に行かなくていい』という意味の「俺は、学校、学歴なんて、生きていくのに、そんなに関係ねェと思ってんだ。」という言葉のタオル投入だった。
どんなにか待ち焦がれていたことか?と14年経った今もハラハラ、ドキドキしてしまう。あの言葉をかけてやらなかったら?かけた言葉がもう少し遅かったらと思うと背筋が寒くなってきます。
この経験から、子どもが逃げ帰ってゆっくり休めるのは家で、一番『自ら自分の命を絶つ』事から救ってやれるのは親、家族なのだと思っています。

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More 私、もう駄目みたい。
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by obora | 2009-01-26 04:02
『 1994・10・30(日) ~ 199・2・1(水)までの親父のメモ』  
[1994年10月30日日曜日

夕食時、手に持つ茶碗と箸が重そう、食も進まず青白い顔をして時々小さくため息をついてテーブルの端を焦点の定まらない視線を落としているばかり。
もう、ギリギリ限界だなと「学歴なんてどってことない」というような言葉の“もう学校行くのをやめてゆっくりやすみな”の意味をこめて学校というリングでのいじめという試合にタオルを投げ入れた。それまで青白かったほほに薄っすらとピンク色になって行くのがわかって親の想像遥かに超えた重圧だったんだ。




10月31ひ(火)

仕事から帰ってきて靴を脱ぐ間もなく居間の方から飛び出してきて「私、学校行かないから」と、今後どうしたら良いかの相談を受ける。返事は即「OK,いいぞ!」
深夜遅くまで、これからの事について二人で話合い、学校に手紙を書く。
長期欠席の知らせと、本日より登校をすすめる教師、生徒の電話と家庭訪問を子どもの精神安定が得られるまでしかえてほしい、といった内容。
(結局、聞き入れてもらえず。日中、家は子どもが一人で留守番、そこを狙ってチャイムを鳴らしノックをして子どもの名を呼ぶ)



11月1日(火)

昨夜の手紙を仕事へ行く前に、久美子を乗せて学校へ行く。
久美子が手紙を職員室の担任の机の上に置いて、教室に置いてある私物をもってきた。
日中、久美子が自分で札幌のフリースクールに電話、夜、母親と札幌へフリースクールの説明会へ、次の目的探しに一生懸命だ。最大限のバックアップはしよう。




11月4日(金)

仕事を休んで久美子と、小樽へ。
小樽運河沿いを走り回り、ガラス工芸を覗いたり、大きな熊のぬいぐるみを買い、アーケード商店街をブラつき電車の中では駅弁を食べ旅行者気分。すっかりいい気分。
帰宅すると、クラスメートから偽名の手紙、その子に電話をして「もうしばらく、そっとしてナ」
しつこい学校からの電話連絡に対し、担任自宅に電話。
これが教師?というでんわの対応。(21:00頃)
外部からの電話、訪問で、精神的に動揺。




11月5日(土)

同じ子から、また、手紙、相変わらずの偽名。





11月5日(木)

久美子と夜の散歩始める。
一周2時間~3時間近くかかる散歩コース。
その間、これからの事、特に夢の話を語りながら歩く。
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(散歩コース)





11月15日(火)

20:00頃、同じクラスのいじめで登校拒否をしている女の子の母親から電話。
内容は同じ問題を抱え、話を聞いてほしかったようだった。
教頭先生と話をした時に「佐藤さんとお宅のケースは違いますから」と云っていたとか、いじめを知っていて見過ごす。表ざたになってからの対応の不味さなど同じ。
久美子をサポートするだけで学校やいじめた側の親たちと喧嘩や、嘘っぽい話をしている時間が惜しい。




11月16日(水)

フリースクールと連絡。
25日11:00に会う約束。
昨夜の電話があった母親の子から「遊ぼう」
教師が話していった事などの情報、この子クラス内で情報出しすぎていじめにあったのでは?
この時期にキツイな。



11月17日(木)

川崎病の定期健診、札幌・勤協医院。
久美子の通信写真講座の教材くる。
進研ゼミの学習で家族全員で大騒動、大笑いして娘に怒られ、楽しそう。


11月25日(金)

フリースクールより面談延期の連絡。



11月27日(日)

フリースクールから電話で明日もう一度連絡をくれるそう。
その後の連絡無し。
久美子が電話をするとNTTの「お取次ぎできません」のテープ音。
どんな事情にしろ追い詰められている子ども相手にこれでいいのか。



12月5日(月)

秋田の高橋さんより返事、
よる教頭より電話「校長と一緒に伺いたい」と、なにが今一番、久美子にしてやらなくてはならない事をいくら説明しても分かろうとしない。娘が側にいるのでイライラを押さえてもう一度説明。




12月6日(火)

久美子はじめ、家族の転換に食卓テーブルを買う。さほど広くない部屋でも、日中一人だと広すぎて寂しいのではとの考えもあり部屋の空間を狭めるといった考えで、大きめのを。



12月12日(月)

兵庫県の『おーぷんはうす』の代表者・松木育子さんに手紙を書き送る。




12月13日(火)

少年指導センターの〇〇さんから電話で25~30日の間に会う約束。あって話をしたところで事は進展しない、教師退職者で学校側、学校そのものの考え方のはず。向こうの立場もあるのだし会うだけ会ってみるか。




12月16日(金)

連絡とれず、音信不通だったフリースクールの代表から久美子に電話、21日のクリスマス・パーティーに出席しないかと誘い。子どもの気持を第一に考えてくれないと、フリースクールには行かない。




12月22日(木)

担任の教師、通知表を持って家に来た。久美子一人なので応対せず、郵便受けにさしこんでもらったそう。




12月23日(金)

兵庫県のフリースクール『おーぷんはうす』の代表・松木育子さんより返事がくる。読んでいるうちに肩の力が抜け気持が楽になる文面、このまま娘と接していけばいいのだと自信を持たせてくれた、そんな手紙。



12月28日(水)

少年指導センターの○○さんと合うが予想通りのもの、ダイレクトにいく父兄の怒り、疑問など学校、教師へのガス抜きの場所の様な気がしてしかたがなかった。ここに来た事を後悔する。



12月30日(金)

久美子の誕生日、14歳。
別の学校に行きたいと言いだした。将来の事自分なりに考えているんだ、連日連夜の話合いも無駄ではなかったという事だ。考えましょう。




12月31日(土)

雪の中、二人で除夜の鐘を聞きにいく、『あ、久美さんこれで大丈夫だ』と、除夜の鐘を聞いている顔を見ていて感じた。



1995年1月

地域外通学の話が進み、遠くのちいさな中学校へ通学復帰決まる。

近くの文教寺に久美さんが何かに取り付かれたように暮れから新年にかけて描きあげた仏教の絵を持っていく、タキバァちゃんにみせるため。

教育委員会の村上さんから転校先の校長と28日連絡をとり娘と一緒に合うようにと電話連絡が入る。
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1月31日(火)

11:00 前の中学校へ書類。
12:00 役場・教育委員会へ。
13:00 久美子と母親が転校先の学校へ。
新しい学校のジャージーを買って用意。



2月1日(水)

3ヶ月ぶりの登校、やはり、いじめの不安いっぱいで帰ってくる。
「もし、またいじめにあったらどうする」
「その時は、有り金全部もって二人で旅に行こう。だから、目いっぱい頑張ってみる?」
「わかった。その時は旅にいこう」
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by obora | 2009-01-25 00:18
校長と叔母の会話

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(久美子の叔母)
・・・ 今の時点でですね、久美子は、あの~どういう事で休んでいることになっているんですか?!・・・


(学校側)
「どういう~ぅ」



・・・ たとえば教育委員会の方に報告、なんかに・・・・・・? ・・・


「まあァ~ 、その~ ・・・・・・・・登校出来ないということで・・・・ぇ」


・・・ 理由は?! ・・・


「ようするに、あの~ 久美子ちゃんが、おっしやるように子どもの目が怖いとか、
あの~ いじめというか、そういう、にらまれた・・・・・んー」


・・・ いじめがあったということは、こ・・ち・・ら・・でも認めては、いらっしゃる?!・・・


「いじめがあったということですか?」


・・・ えー ・・・



「その事については、あの~ 具体的な名前でて・・あの~ その子が あの~、
目が怖いという子どもがいるんですけれども、それで その~ そのことについて、誰が、具体的に誰が、どういうような形でいじめがあったか・・私どもとしては具体的に、その~ 名前があがってこないんですよね。
久美子ちゃんに聞いても言いたくない。
担任と接触があったときも、つかみきれないんですよ。」


・・・ いまだにですか??!


「そうです。」


※昔も今もこんな問題が起きると、あいも変わらず似たような受け答え
「・・・・・があったとは知らなかった」とか「いじめがあったという事実をつかみきれていない」
と言うような言い回し、こういう事態に直面した場合のマニュアルがあるような受け答え、それ も 全国規模どの校長も同じ、いじめられた子どもを切り捨て、数からするといじめられる子ども  の方が少ないからそういう言い逃れ風な発言をするのか?と思ってしまう。
担任と娘が校長在室中の校長室で話合っているのだから。こんな事がいじめに遭い脅えて家
に閉じ篭もっている子どもの耳に入ったらどう思うか?ますます自分の殻に閉じ篭もってしま うだけだ。
娘には、学校側とも接触しない、自分の側にいる家族、大人が一人必要だなと判断して、学校 との話し合い(ほとんど、話し合いになっていなく親と親族が顔を合わせたというだけ)には母親と叔母。父親としては、できるだけ娘と同じ処に立って一緒に考え、悩みを聞きける精神的立ち場にいた方が家族入れ替わり立ち代り先の見えない話し合いに顔を出して子どもを混乱させ るより、娘個人の問題解決が早まると判断したから。家に校長や教頭、担任の先生が伺いた いといっても、それも断った。何故かと言う説明も電話でしたが、子ども達を相手にするプロが その説明を本当の意味で理解してもらえなかったのである。
日中、娘が一人で家にいる事を知っていて玄関前でチャイムをならし、長時間立ってドアを開 けるようにドア越しに叫んでいたのだから。子どもの前で、更に学校側の『嘘』を取り上げ声を 荒げるなんて、聞かせられないじゃないか。
担任の先生の自宅に電話してそれを伝えると、だんまりで返答なし。この事以外の話には返  ってくるのに、娘じゃないけど『先生って変!』今もそう思っている。子どもを守れる一番身近な 大人は親なんだから、体面ばかりじゃなくこのあたりの処をくんでくれなきゃ、いじめに合った  子どもは健康な大人になれないと思う。
 
 当の本人(娘)が聞いて「校長先生は知っている」
 
学校側の苦しい立場も分かる、せめて「知っておりましたが、解決にいたらなか った」くらい言わないと目の前にブラ下がっている結果は同じなんだから 
”いじめがあつても学校側では解決できません” という。

 そうじゃないと子どもが『嘘』をついている事になりゃしないか?!!

More 叔母と校長のかみ合わない問答の続き
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by obora | 2009-01-22 00:20
いろんな進む“道”・・・・一言二言。
> ものすごく『道』が、進む道があって

約2~3時間かけての夜の散歩から帰ってきて 食卓テーブルに向かい合って座り、義務教育を拒否して今後どんな道があるのかと食卓テーブルの中心に垂れ下がった傘の大きな明かり一つにして、そまで禁酒していたウイスキーを飲み、娘は お茶やコーヒー、紅茶、時には、微量のアルコール分入り飲み物を飲みながら、これからどうしたいのか?将来どんな職業に就きたいのか?と、思い描いていることを聞いて、それに対してどんな事をすれば良いのかを、多少多く生きてきた経験とほんの少しの知恵を駆使して連日連夜、質問の嵐。
「勉強どうしよう」
・・・進研ゼミ、明日申し込むナ・・・
「吹奏楽、一般のサークルでやれないかな」
・・・じゃ、探してみるか、昼に自分でも職業別電話帳で探して・・・
「カメラの勉強したい」
・・・オレも教えるけれど、通信教育やろう・・・
「絵描きさんになるのにどうしたらいい」
・・・独学でもなれるけど、専門学校を出た方が早いけれども、独学でぜんぜんオーケー・・・
「わたしサ、尼さんにもなりたいさ」
・・・それっていま!?・・・
「実は京都の方の有名なお寺さんに手紙と電話したら、学校終わってからって」
これには
・・・『・……!』・・・
「わたし、ぜったいにお坊さんになるよ。その時、父さんサ、寺男やんな」
これには、笑って『そうだな、寅さんに出てくる源公だ』って言うしか返事のしようがなかった。
先のことばかり考えていた。怪我とか体の弱った野生の動物を保護して、回復状態をみていつ、どこで仲間(同世代)の中に帰すか、それを常に考えて娘と接していた。
そうして、一日の終わりは「自分で本当にしたいことを、決めて言ってみな?それに対して全面協力する」で,今日もお開きです。


>今日、通学(??!!)定期入れ買った。
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フリースクールの説明会に行って 
行くと決めて それの用意と登校拒否してから一人で買い物にでかけたパス入れ。
結果的に、フリースクール側の事情で(財政難と教育委員会の人に聞かされた)代表と娘の約束日に連絡がとれず、何度かそんな事があっ駄目になってしまったが、駄目になって結果よかった。フリースクールに行かせるって、最終的に出来なかったと思う。子どもを裏切って責任逃れのようだったから。だからと言ってフリースクールを否定するのではないし、絶対に必要なのだが、フリースクールの話が進んでいた頃、そう思っていた。
この定期券入れ、1年半後から高校通学に最後はボロボロになるまで使ってた。

   

>あと親が私を護ってくれるベサ。

『・・・・・ベサ。』って、疲れたら休ませ。
いじめっ子がら隠れる場所を用意して。
同じ目線で話を聞いて。
ちょっと長く生きた乏しい『知恵』を提供する。
こんなことくらいなんだよ。
こんど、今の娘に聞いてみよう「そうだベサ」って。

More “いろんな進む道” をもう一度見る
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by obora | 2009-01-21 00:00
ほんとはおいらも少しおこってんだよ。
くみこちゃんへ


……うん、みんなにあやまった方がいい
かもしれない。くみこちゃんさ、
「集団じゃなくて2~3人でいたい。」
って言ったでしょ?そのことが、みんなおこってるし
その他にも、色々おこってるみたい
だから…。でも、きちんとあやまったら
みんなきっとゆるしてくれると思うよ。
時間かかるかもしんないけど…。でも×2
せいいっぱいがんばればいいよ!
それから、あとで、休んだ日のノートみせてあげるからね
あと、あんまり泣かない方がいいいよ
「泣いたってだめなんだからね」って気持ちになってる人もいるし…。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



学校を休んだ日の授業のノートを貸してくれる。
いじめにあっているクラスメートを励ましてもいるが、『集団ではなく2~3人でいたい』と言ったことには、“ほんとうはおいらも少しおこってんだよ”。
トイレに尿意がなくても、グループの何人かが「トイレ」といったらグループ全員でゾロゾロとトイレに行く。
考え方も言う事もグループ全員同じにしなくてはならない、行動も。
一人つまはじきにされている友達を心配しているが教室内では、態度、行動に移せない、それをやると矛先が自分に向いてくるから、何枚かのメモを読んで感じたのは、いじめグループ側にいて、その輪から出すぎない距離と優しくきずかった文面の最後に“ほんとうはおいらも少しおこってんだよ”と、子どもながら、他のグループの子に見られたとしても安全なように自分の身を守る保険の一言を書いてある。ここまで気を使いながらの学校生活って狂っているとしか言えない。
子どもが苦しんで、悩んでいる時は休憩が必要。学校を休ませ、自分の意志で復学を希望し、地域外通学をさせたことは大正解だったと自信を持って言いきれる。
いじめも、登校拒否も経験することはマイナスではないしむしろ後になって「良い経験したな」って感謝していても後悔は14年たった今一度もない。そうなるのには親が間口広げ、受け止める事が絶対必要。いじめに遭って苦しんでいる時、「学校に行け!」と毎日のように攻め立てられ、それ以後、現在26歳、今も家での閉じ篭っている。難しいけれど攻めちゃいけないんだ。
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by obora | 2009-01-20 00:19
『詩・ピラミット』
              ピラミット


      人間 つまり自分てさ
      もっと気楽でいいよね?

      やっぱり人間は きまじめに生きると得なんだろうか?
      
      理屈というピラミットの積み木
      何かあるたび組み立てていく

      『私』を見せたくて
      まわりはピラミットの山だらけ
      積み木は遊びの道具なハズなのにね

      気楽に生きる ?
      気楽に生きるべき ?

      考えたら わけがわからなくなって
      やめてしまった
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1994年 暮れ、家で・・・・・久美子
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by obora | 2009-01-19 00:00
『いじめはなくならないと感じた話』と『しては絶対にいけない事』
“いじめ”は減らすことは出来るかもしれないが、無くなる事は絶対にありえない。
釣りが好きで、釣り道具かついで日本を釣り歩いたくらいなので当然、色んな漁師町の漁師さんと仲良くなり親戚付き合いのようにまでになってしまうことがありました。
そんな中のある島の老いた漁師夫婦の家に何度目かに訪ねたときのこと、お茶を飲み、30分くらいたったころ、バァさんが「まぁ、聞いデけれ」と話だした内容はこうだった。
一家はバァさん夫婦と長男夫婦に3人の子ども、2人は家を出て高校生の息子の5人家族。
なんせ小さい島のこと、自営業の息子は昼飯を家に食べに戻る、その食事の用意をバァさんがするらしいのだが嫁さんから渡される食費が少なすぎ、なにをどう買って、どう作ればいいのか毎日の悩みだと言う。
実際にその献立を一緒に食べ、第一に思ったのは『このような食事で働く息子や高校生の孫が一日の活力として充分なのか?』だった。
たまたま、バァさんと二人になれたので、渋茶をすすりながらその疑問をぶつけてみた。
「なんもサ、わしが夜中のトイレにおきたもんサ、だらさア、流しの方からジュージューと音がして肉の焼けるいい臭いがすんの、下の冷蔵庫には入ってないけど、二階の若夫婦の処に大きなストッカーがあって何でもはいってンのサ。そうやってワシらが寝付いた頃やいて若夫婦や孫達が食べてたってことサ」と皺だらけの両手で湯呑み茶碗を包みこむようにして、膝の上に乗せ親指で茶碗の飲み口あたりをユックリさすり天井の方をボンヤリ見ていた。

家を出た孫二人もそうやって育った。
このように育って、どれが“いじめ”なのか判断なんてつかないのでは?
なぜかこの話をきかされて以来、それぞれの家庭でも考えなくてはならないのでは?いじめ問題が発生すっると学校と子ども達だけでを中心に“いじめ”を考えているような気がしたんだ。何か少し違うかなと、それ以来思うようになった。


ただ、今言えるはっきりした事は
学校で “いじめ”や、辛いこと、苦しいことがあって
我慢できなくなったら、
学校をズル休みしてもいいし
仮病を使ってやすんでもいい
長期的に学校を休んだっていいんだ。
だけど、絶対にしてはならない事が一つだけ有ると思う。
それは、自分で自分を殺すっえ事。
ちまり、『自殺』
これだけは絶対にしては駄目!!

そういう状況に子どもが出合ったら
大人、つまり親はあんぜんな逃げ場所を作ってやる。
なにも、ローンを組んだり、特別にお金を用立てることもない。
「いいよ、落ち着くまで家に居て休もう」
の一言だけでいいんだから。


話はバァさんに戻って、5年前、亡くなりました。
そのバァさん、一時、義理の母だった人です。
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by obora | 2009-01-18 00:08
『 学校へいけなくなるという事 』
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「本当、情けないったらないよ」
「ただの子どものわがままだろう」
「弱っちい。意気地なしだから学校にだって行けないんだ」
「いじめられる奴が原因さ。俺はそう思うね」
「フン、かまってらんねぇよ、そんな話」

そんなことを平気でいっていた人はいったい何人になるだろう。





私は四ヶ月のいじめと三ヶ月間『登校拒否』を続けた経験があります。
「つらい。孤独で死んでしまいたい」なんて言葉で表現しようと人はしますが
本当は、そうじゃない。
そんな言葉じゃ足りません。
もし、突然、友達がいなくなって、口さえきいてくれなくて
回りから全部消えてしまったら、どのくらい耐えている事ができますか。





“いつも一緒でなきゃダメ
トイレだって、八人いたら八人で行かなきゃいけない
何事も一緒がモットー
皆を困らす勝手は許さない それが私達の約束だから
破ったら どうにかしちゃうよ”
私は、そんな約束のあるグループから、どうしても逃げたしたくなりました。
「自分は束縛されている」なんて一丁前な事を考えついてしまったから。
約束を、破りました。
「裏切り者」です。





学校へ行かなくなっての三ヶ月、明るい日中は一歩も家から出なかったような気がします。
私が歩くと、皆、不思議そうな顔をして私を見ます。
『怖い!』
だから、外部から絶対守ってくれた親のいる家に、ずっといたのです。

そんな時、唯一、私が気にしていたのは、窓から見る空模様でした。
曇り、大雨、暗闇や雷。
学校へ通っていた頃、大嫌いだったくせに、
こんな天気の日には本も考え事も、気兼ねせず出来ました。
ところがカンカン照りの日は、それどころではありません。
                      (1995年、発表原稿下書きヨリ)




ブログで載せたかったのは約十一年前(09’一月現在で14年前)に我が家で体験した『いじめと登校拒否』についてでした。

これは、『いじめ』と『登校拒否』を体験し 地域外通学を始め精神的にも落ち着きだした頃、町の「少年の意見発表会」でこの体験を発表してみないかと地域外登校で通い始めた学校の担任教師の勧めで、上記が原稿を書き始めのものの一部分です。
発表当日の題名は『今 思うこと』  ~一人の登校拒否生徒からのメッセイージ~

ここに載せるという事は 相手への攻撃とか恨みとかではなく、わが子に“いじめ”や“登校拒否”に遭遇した時に、
『疲れ苦しんでいる子どもを休ませなさいよ』
『親だって仕事で辛い嫌なことってあって、時にはズル休みする、登校拒否ってそれと同じ』
『義務教育を途中で受けないで将来が心配?そんな事はありません。』
など、これを見て悲観せず、前向きに乗り切れる切っ掛けのかけらにでもなってくれたらとの、そう願いですね。
『いじめ ・ 登校拒否』も 付き合い方(対処)次第で親子にとって『最高の経験』と『楽しい時間のプレゼント』にもなる、なったんだって事が伝わってくれ 今その真っ只中のいる家族が見て少しでも力になって明るく考えてくれたら (それが一家族、一人の子どもでも) な、と願いながら載せつずけようと思ってます。



机の回りを整理していて、娘が地域外登校というかたちで学校に復帰して間もなく、担任の教師の進めで、体験を発表する事になった、その時の発表原稿が出てきた。
内容は、教師の立場上『まずい』と教師自身が感じた部分はカットされ「どうする」と直前まで悩んだ以下の原稿で発表した。
娘自身が本当に言いたいことのいくつかは担任の先生の立場上、削除しなければならず、これを受け入れて発表すると決めるまで長い、長い親子の話し合いがあり、思っていることの何十分の一でもいい人に聞いてもらえるチャンスを生かそうじゃないかとシブシブ納得しさせて発表にこぎつけた訳。

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(本人に描いてもらった発表の絵。高校に進学するまでは、顔色は青白く、この絵の表情そのもの。)

      


       『学校へ行けなくなるということ』・・。(石狩管内中学校文化連盟・生活体験発表会)

「本当、情けないったらないよ」
「ただの子どものわがままだろう」
「弱っちい。意気地無しだから学校にだって行けないんだ」
「フン、かまってらんねェよ、そんな話」

そんなことを平気で言っていた人は、いったい何人になるだろう。
二年生に進級して間もない頃、私は“いじめ”から『登校拒否』を続けた経験があります。

もし、突然、友達がいなくなって、口さえ聞いてくれなくなり周りから全部消えてしまったら、どのくらい耐えていることができますか。
私は耐えることができなかった。
皆にせめられ、ののしられ、さんざんバカにされました。
一瞬にして友達全部と信用と勇気を奪われて、私は学校を飛び出した。
「もう、終わりだな」って思いました。
部活も、勉強も、好きな人も全部残して。

我慢しようと思ったけれどやっぱり我慢できなくてよく泣きました。
でも、学校を休んで、不登校中の友達がたくさんできたのです。
彼等は、校則や、学校自体のあり方、すべての面に疑問を持ち学校を去ったのだと言います。
そんな仲間に背中を押されて、グッと胸が熱くなりました。
自分の周りにある分厚い殻をやぶっり出ようとしている人が、こんなにもたくさんいる!

一度の挫折だけで、全部の夢は崩れない。
何となく、私も、「あきらめてはいけないんだ」っていう気持が本当に湧きました。
それで、もう一度、中学生やっています。
親と、たくさんの不登校の仲間の思いに支えられて。
初めて経験した大きな力です。

登校拒否をして、価値観がガラリと変わった気がします。
もう、アクシデントにぶつかっても歩いていける。
よく、自分の意見をハッキリ言えたらいいんだとか、勇気を持てとか言うけれど、
ちょっと待ってください。
それで本当に解決するのでしょうか。
実際は、そんな簡単にかたずくものではないと思います。
助けのない一人ぽっちな処に、そんな勇気を、私達は絞り出すなどできない。

皆、『問題児』じゃないし、『弱虫』でもありません。
もしかしたら、次の朝には自分がターゲットになっているかもしれない。
もう一度考え直してください。
皆、『落ちこぼれ』なんかじゃありません。
夢を持っています。
人の痛みも知っています。
皆が思う以上にしっかりしている。
悲しくてどうしようもない事実なのに。
皆、知らなさすぎる。
無関心すぎる。
分かろうとしない大人や仲間が多すぎます。

『いじめ』による自殺がたくさん起きて、その時、語る校長先生や教頭先生を見ると、私は悲しくなります。
どうして同じ言葉しか出てこないのだろう。
「報告がなかった」
「いじめがあったとは知らなかった」
「いじめられる側にも責任がある」・・・と。

私が悩んでいたときだって、同じようなものでした。
今、私の心には、学校、そう、先生に対する『不信感』しか、残念ながら残っていません。
それでも、私の場合、今の学校に転校して、良い友達と、素晴らしい先生にめぐり逢い、なんとか立ち直れそうです。

どうか分かってほしい。
『いじめられっ子』にも原因があるとか、ないとか、考えないでほしい。
それが今、『いじめられっ子』が言わなきゃいけない、一つの『主張』だと思うから。

『助けてほしい』

『見ていてほしい』

『無視しないでほしい』

登校拒否の子を、『無気力な奴』なんて思わないでほしい。



            (平成7年中学校文化連盟『生活体験発表会』発表原稿。)




子どもが、友達や、いじめなどで苦しくなったら
学校をズル休みをしてもいい
もっと、辛く苦しかったら学校へ行かなくてもいい
でも、絶対にしては駄目なことが
一つある
それは、自分で自分を殺すこと!
そう、自殺をしては絶対
『駄目!』

親も、子どもより少し長くいきてきた
経験を駆使して、安心して休む場所をつくる
その場所は“家”なんだね
そう!“家庭”なんだから。
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by obora | 2009-01-17 00:16
『 おこってるんだよ 』





                            P.S
                            ほんとうは
                           おいらも少し
                           おこってるんだよ。


                  
                  
                  くみこちゃんへ
                  ・・・・・・・うん、みんなにあやまった方がいい 
                  かもしれない。くみこちゃんさ、                      
                  「集団じゃなくて、2~3人でいたい。」
                  って言ったしょ? そのことが、みんなおこって
                  るし、その他にも、いろいろおこってるみたい
                  だから・・・。でも、きちんとあやまったら
                  みんなきっと ゆるしてくれると思うよ。
                  時間かかるかもしんないけど・・・。でも2
                  せいいっぱいがんばればいいよ!
                  それから、あとで、休んだ日のノート見せてあ
                  げるからね、あと、あんまり泣かない方がい
                  いよ、  ● 「泣いたってだめなんだからね」
                  って気持ちになってる人もいるし・・・・。
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by obora | 2009-01-16 00:25