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いじめの前触れ
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1994年8月の中頃、毎日決まって19:00~10:00の間に娘に電話が小刻みに、同じ子からかかってきてきて満足に夕食も取れないほどだった。
相手は同じクラスのGさんからで19:00頃は夕食の時間、電話が終り何分かすると又くるといった感じで食事もとれない状態にもかかわらず当の本人は何の疑いをももたず信じきって相手の望む答えを聞かれるままに答えていた。
ある日、感情をむき出しにして話している、電話相手のGさんと喧嘩をしているようでもない。 『これは、変だ』と感じ娘の受け答えに神経を尖らせ様子を数日みていた。
なぜこんなに同じGさんから電話がくるのだろう。
一度切れて5~6分すると又同じ子から電話が来る。一定時間が過ぎると又、電話、それが3時間近く続いた。
これは誰かと娘の間に入って、“いじめ”の材料となる話を誘導質問させている中継役だなと、察し、それとなく聞いていると。
「Gさん、転校して来たばかりで私をたよりにしてんのサ」と電話相手のGさんを信じきって相手の不自然な聞き出し質問、これは友達間の会話になっていない。
別のクラスメートの事をどう思っているかとか、誰々ちゃんこう言ってたという話をしてきて、それに対し聞かれるままに本音で答えていた。
時には娘にリーダーが期待しているような(攻撃材料となる返事)受け答えをしなければならないように話を誘導、そう、誘導尋問なのだ。
「どうおもうかってサ、こうかな」とか「え~ェ、私の事そういう風に言ってたのとかサ」と何か変ぽいなといった顔をして首を傾げて食卓に着くも食欲は何時もより落ちていた。
「誰々ちゃんのことどう思う」それの答えると、一旦電話が切れ、5~6分後に又かかって来る同じ子からの電話。
誰々が久美ちゃんの事こう言ってた。こうも言ってた。」と更に娘の口から過激な答えを聞き出そうとしているのがわかった。
事実電話口で感情的な口調で話すことが多くなってもいた。

とりあえず少し様子を見てみる事にしたが、一向に回数が増えても減る気配がないので、
「電話は仕事の連絡にも使うし、明日から回数の多い電話は駄目ってGさんに言っといて、俺が言ってたって」と注意をしなければならないほどだったのです。
次の日から単発の電話が数日に一度、きても数分と短くなり、そうして まったく電話がこなくなった。
それと同時に娘に対するグループでの“いじめ”が急激に襲いかかっていた。
あの異常に多い長電話はグループのリーダー格のKさんからGさんに電話があり「これとこれを言って久美子が何ていうか聞きだせ」ってことだった事が分かり中学校の二年女子がここまで時間をかけ手の込んだ“いじめ”の下準備をするのを知って背筋が寒くなるような思いがして、この時に『いじめで娘がSOSを発信した時は文句なしに休ませよう』と決めていたように思う。
中二の女の子がここまでやるなら学校じゃ絶対に解決出来ないとも思ったのです。
その後も学校でのいじめで疲れ切っている娘に様子を探る命を受け同じ子から電話が定期的にきていたが、相手の質問に答える気力もなく「うん、うん、電話、お父さんが使うからバイバイ。」と切っていた。
そうしてポツンと「Gさんグループのリーダーに言われて、わたしの言った事をすぐ教えてってそれの繰り返しだったのサ」って「大丈夫、オレが絶対に守るからナっ」と言うと目を大きく見開いて「ほんと」と久しぶりの笑顔をみせていた。

電話が来なくなって、まもなくGさんは登校拒否となった。
娘は親友だと思うから安心してGさんの質問にも、思い感じた事や自分の事を挑発しているような『誰々ちゃんこう久美子ちゃんの事言ってた』と言われたらその挑発にのって親友Gさんとだけの会話と思い売り言葉に買い言葉できつい言葉を発してしまう。この言葉がリーダー達グループに数分後には伝わり“いじめ”の格好の材料となっていった。

電話の回数を制限され、攻撃材料が入手できなくなったイライラが、Gさんにも“いじめ”となって攻撃し、そうして娘へに対する“いじめ”も過激なものになっていった。

ここまで分かるのに、子ども達の回しメモや、娘が書いたもの(本人が、読みなと、よこしたもの)自分の目、耳で知った事や、書いたものを何度も何度も読みかえし記憶と照らし合わせ、メモと娘の書いたものを読み比べ、やっと薄っすら全体像が見えてきた。
あの電話の段階でどう対処すればよかったのか、いま現在も明確な答えは無い!

小さい頃から友達付き合いの友達でも、 友達への『やきもち』や『わがまま』な考え行動を自分の口からは、なかなか言えないもの、それでも本当に言いずらい自分の負の部分を毎日いろいろ沢山の話会の中で少しづつしていく内に聞きもしないのにポツリ、ポツリと自分の負の部分を包み隠さず話すようになった。そこまでくるのに、この親密親子関係でさえ3ヶ月以上かかっている。

『いじめ』の前触れは察知できるが これをどう解決していいのか、その段階では わからない。
いじめる側も、いじめられる側も同じくキズつくもんだし、親父も義務教育の間、9年間いじめられっ子から いじめっ子つまり、弱い者いじめまでも経験していてもそのあたりの対処、解決策は全然見えてこなかったし、今もどうしたら、どの対応が         良いのかわかんだよな!
だから『久美さんの後ろにはいつもオレがいて、本当に悩み苦しんでいる時は全力で守ってやる』と日常生活の中で感じさせておくことしか出来なかったし、“いじめ”の前触れを感じ取ってもこれ以上の策は現在も見当たらない。
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by obora | 2009-02-24 15:00
『いじめの方法・・・二つ。』
 後で知ったんだけれど、
「佐藤の連絡網、飛ばす」と、グループの人に言っていたんだ。

××さんだって、知っていたんだもの、電話でそっと知らせてくれたっていいのに・・・。
私の家で、父さんの料理、何度も楽しく
仲良く食べて 絶対親友だと 思ってた。

どんな事があっても いくら喧嘩しても、最後の最後まで ××さんを信じていたし、
実際、今でも 『親友は ××さん』て、言いそうになる事ある。





体育の時間、バレーボウルのボウルが忘れた頃ではなく、
ほとんどこなかった と いったかんじだった。

たまにボウルを打ち返し、相手が○○だと、打たないで受け止めてしまうんだ。
そして私を取り除いて 新たにゲームを始めるといった感じ、
そして、もう私にボウルは こない。



※ 連絡網の場合は母親が学校に「連絡網とばしの“いじめ”がある」と電話をして初めて担任の教師が重い腰をあげて家庭訪問し、その場シノギの話をして帰った。

体育の時間の事も教師は見て分かるでしょう。何かが変と児童相手のプロなんだから。
いじめられている者が耐え忍んで中学校を終えてくれるのを教師達は息を殺し待っているとしか思えない。
「ボールを皆に回せ」ってくらい言えっ!て思うオレが変かぁ。と当時は思ったもんです。
この状況で登校拒否して「“いじめ”があったとは認識できなかった」と言うような全国共通の答弁ですもんね。
これでは問題解決の糸口すら見い出せないだよな。
学校に問題解決の期待はゼロ。抗議もせず(そんな時間がもったいなかった)子ども第一でやってきた。
教師達も「知ってはいたがどう指導していいのか分からなかった」とか「クラス分の1とどちらかを選べと言われたら1の方を私は切り捨てました」って正直に言えば解決方法もみつかるのではないか?って何時も思う。
嘘をつけば言った、言わない。知っていて!確認できていなかったとか“いじめ”はなかったナんてぇ事を言うから“いじめ”問題足踏み状態で解決に向かった話合いなんてできっこねぇテ!
何時も何時も「言った」「言ってない」「知っていて」「知らなかった」を繰り返していれば子どもを抜きにして時間ばかりが過ぎ問題解決と云うか無い尻切れトンボ。教師が正直になんないと『いじめ』は減りませんネ!違うかオレの考え?!解決方法の話をしていかなくては?
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by obora | 2009-02-20 02:10
『 子どもの権利条約 』に救われた親と子。
簡単に「ああ、学校に行かなくていいよ」と言ったもののその判断が子どもにとって本当に正しいものなのかと云う部分が一番神経を使わされた。
そんな時、新聞で ”子どもの権利条約”というものがあると知り、本を買い読んだ。なれない条文文書と悪戦苦闘しながら。

『登校拒否は、子どもの権利条約にもとずいて』考えると、どうなるのか?!
いったい この条文の中に それが有るのかと思いながら夢中で読み文を調べた結果。
「いじめで学校に明日から行かない」との宣言に「あぁ、いいよ」言った答えが第三条、第六条と第三十一条にたどり着き何度も何度も読み返し娘と納得いくまで話合い『これで学校を休む(登校拒否)に賛成し、あぁいいよが間違ってはいない』と肩の荷が下り軽くなった。


第三条 ”子どもの最善の利益”
第六条 ”生命への権利、生存、発達の確保”

 

を基本的な考え方として、子どもの成長、発達過程には、

第三十一条 ”休息、余暇、遊び、文化的、芸術的生活への参加”
は、絶対に必要なものと考えて、(実際問題としては、どのくらいの人が、このように考えてくれるか?!)
『登校拒否』は、この第三十一条の、休息等にあたるものとして、とりあえず家の中で精神的に安定第一に、それが、第三条の”子どもの最善の利益”と解釈。

ここまでくるのに、長い時間を要した。
13歳の娘と夜遅くまで、この本を前にして、やさしい言葉に直し ここまできたときは、二人で顔を見合わせて

「なぁ!久美さんが登校拒否しているのは、子どもの権利なんだってよ。胸はって外を歩きナ」

「なんだ、そうか。そうなのか」

肩身の狭い思いで家の中に閉じこもりぎみの娘に、いくら俺の考えを説明したところで、一抹の不安がいつも浮かんでくる、話終えるとボンヤリと頭の隅に『オレの判断、これでいいのか?』と浮かぶし、聞いている方も理屈では『そうだよね』って言いながら不安そうな顔を時々見せる。
自分達の考えを確かめる第三者の意見が欲しい時に子どもの権利条約とであった。
” 義務教育 ”(すべての者が受けなければならない教育)に知らず知らずに洗脳された部分それが『不安』となって現れたのだろう。
それを、取り払ってくれたのが この 子どもの権利条約 だった訳。

この権利を立てに学校その他を攻撃するなどと考える余裕はなく、自分達の考えや行動(登校拒否) の答え合わせ、間違いなのか、間違ってないのかっていう。

よく「学校にも行かないで、ただ 何もしないで家にいるの?」って耳にする。
「んなわけネェだろう」ってって・・・・サ。
あの時なんで、その人にいわなかったかな?!
(今、思うとスゲェ事してたんですネ、俺と娘)

分かりやすい第三条の条文は前の記事に書いたので第六条と第三十一条を。

第六条 『いのちのこと』

① ぼくらは、生きてていいんだ。
  
   ほかの人に殺されていいはずがない。
  
   苦しんでなきゃいけないとか、
  
   痛い思いをしなきゃいけない、
  
   なんてことは、
  
   絶対ない。


② だから、どんなときも、

   ぼくらが元気に生きて、育っていけるように、




第三十一条 『遊び、遊ぶ、遊べ、遊んじゃえ!』

① ぼくら子どもは、

  ぐあいがわるいときや疲れたときは、

  もちろん休んでいい。

  勉強や仕事のあいまにだって、休みは必要だ。

  そしてヒマな時間もね。

  そういうときは、

  ぼくらの年に合った遊びをしたり、

  みんなでいろんな楽しいことをしたり、

  本を読んだり、

  絵をかいたり、なにかつくったり、スポーツをしたり、

  好きなようにしていいんだ。


② ぼくらがそうやっていろんなことをするために、

  国はそれを大事にして、応援してほしい。 

  そのためのチャンスが、

  みんなに同じようにいきわたるように、とかさ。
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by obora | 2009-02-17 12:00
子どもの権利条約 この違い
※ ここで、偉い先生の作ったであろう条文と子どもがわかりやすく解釈した条文を読み比べてほしい。

第三条

1) 子どもにかかわるすべての活動において、その活動が公的もしくは私的な社会福祉機関、裁判所、行政機関または立法機関によってなされたかどうかにかかわらず、子どもの最善の利益が第一次的に考慮される。

2) 締約国は、親、法定保護者または子どもに法的な責任を負う他の者の権利および義務を考慮しつつ、子どもに対してその福祉に必要な保護およびケアを確保することを約束し、この目的のために、あらゆる適当な立法上および行政上の措置をとる。

3) 締約国は、子どものケアまたは保護に責任を負う機関、サービスおよび施設が、とくに安全および健康の領域、職員の数および適格性ならびに適正な監督について、権限ある機関により設定された基準に従うことを確保する。




 
※ 子どもの言葉で、どの子どもにも分かりやすく書いた同じ“第三条”の条文。

第三条

1) 法律をつくるとき、 
法律に合わせて何かするとき、
何が ”いい" か ”わるい” か決めるとき、
そのほかいろいろあるけど、
ぼくら子どもについて
大人が何かするときは、
ぼくら子どもにいちばんいいように、
ということをまず考えてほしい。

2) お父さんやお母さんやそれに代わる人 
そのほか子どもに”しなきゃいけないこと”がある人、
そんな人たちみ~んなが力を合わせて、
ぼくら子どもが幸せになるように、
護ったり、育てたり、そのほかいろいろしてくれる。
国はその人たちと協力して、
ぼくらを護るためにできることは全部してほしい。

3) ぼくらのために、 
保育園や学校や保健所や少年院とか、
いろんなところや仕事がある。
そこでぼくらがケガをしたり、病気になったりしないように、
心と体が元気に育っていけるように、
また、そこで働く人が少なすぎたり、
子どものためになることをしてなかったり、
ということがないように、
国はちゃんと決められた基準(もとにするもの)を
守ってほしい。

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by obora | 2009-02-11 10:10
トキおばぁちゃんとお寺とその仲間達
                     故・小山 トキヲさん。
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幼稚園の頃から歩いて2~3分のお寺やその周りでよく遊んでいた。
小学一年生の時、いつものように一緒に風呂に入り石鹸箱の片方に、ぬれた手拭いを被せ、石鹸をぬりその片隅を吹くとモクモクと小さな泡の山を作ってそれをお互いの顔につけあったり 手で水鉄砲でお湯のかけあいなどをして体はろくに洗いもせず大騒ぎをしていた。

騒ぎも一息ついた頃に 突然「お~い、まさよし君 いいもの聞かせてやるか?」
「あ~、ききたいですね」
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時~照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子・・・・・・・~。」
「なんダ?お経?・・ダぁか?」
「バ~ッカ!これ般若心経っんだ、ぜ~んぶ言えるサ 言ってやるか?どう~ダ?凄いベって!ナぁ~」
ただ口あんぐり!お寺に集まる、おばぁさん達の人気者なのは知ってはいたが無宗派、無信仰心 の親父としては「シェ~っ!すっゴい!トキさんに習ったんだ?」

登校拒否の間も、トキヲばぁさんをリーダーとしたグループに随分と精神的に助けられました。お寺に集まったバァさん達と渋茶をススリざ菓子やミカンを食べながら自分の現在おかれている状況を話、聞いてもらい仏の話も沢山していたようだった。
トキさんとは何度も娘の紹介で会い、沢山の話をしました。
「学校を登校拒否したからって長い人生の一コマ、お父さん!どうって事ないって」
「そうは思うもんの、ジンわりと不安が襲ってくるですよ」
「大丈夫、私が保証する!この子は心配ない!」
助かった。ただ一つ「トキさん勘弁してよ」って事がありました。
当時そのお寺には坊さんが居なかったんです。それである日チキさんが家に来て、お寺に来てくれったのかナ?兎に角話の内容は「お父さん、このお寺のお守りをしてもらえないだろうか?食べるのに不自由させないしどうだろうカぁ?」
一瞬喉詰まりを起こしたように「モグモグ・・・・・・」でした。


そんな環境もあってか学校に行かなくなって、これから進む選択肢として お寺が好き、お婆ちゃんが大好き、お経もと直ぐ隣に大好きが全て集まったお寺さんがあって精神的に救われ「わたし、尼さんになる」と言いだした。
それで千葉にある成田山新勝寺に手紙を書いて出したと言う。
「いじめ・登校拒否は関係なく、ずっと前からお坊さんになるって決めてた」
これには『いじめ とか登校拒否』問題なんぞどこかに飛んじゃった。
反対はしなかったが賛成でもない、究極の『複雑』

トキさんとも会い、何度か話をしてみると ものの考え方が俺と似てるんだね。
『いますぐって事でもないし、絵書きの尼さんもいいじゃない』
って事になり、これはこれで 応援しましょうと、娘が寝付いてから親父一人飲みました。飲まずにいられないんです。登校拒否になるまで、酒を止めて数年たっていたのが、この事をさかいに飲み始めて現在に至っています。
新勝寺にだした手紙の返事が『義務教育を終えてから・・・』で・・ほっ!
今は亡くなったトキさん
そとから見える本堂で坊さんを前に何人かが お経を唱えている、そこを娘と通るとクルリとこちらを向き両手をふっていたトキさん。

今も「私、いずれ坊さんになるヨ」って、それも有りか?!
その後14年経って「私はいずれ、必ずお坊さんになるよ。お寺で絵を教えたり、いじめにあって学校行けない子どもが来やすいお寺があってもいいと思ってる」と言ってます。
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by obora | 2009-02-03 00:20