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母校で講演予定だった原稿・・・1
(注)40分間の時間内で4分の1程度しか話せなかったそうです。
  そこで全文を載せてみました。当然、本人の了解を得ておりますので、所々でも拾い読みしていただけたらとおもっています。





こんにちは。私は9年まえにここの学生だった佐藤久美子と申します。
高校と、短大と、専攻科と大谷にはお世話になって、今はイラストレーターと呼ばれることがおおくなった29歳です。
早い、時がたつのは。わたし、22でここを辞めてるんで。
当時の事務局や、先生には恨まれていてもおかしくない悪たれ小僧でしたから、ほんと、今でも信じられない。
嫌われておかしくなかったので、よく呼ばれたなぁ、といった感じ(笑)どうもすみません。

なので、もちろんこうして皆さんの前に立ってお話しする機会をいただけるとは夢にも思っていませんでした。
30人前後の予定ですよーと聞いていたのに、こんなにも大勢の皆さんにお集まりいただいて
・・・・責任重大すぎていささか息苦しいです(笑)もっと少なくてよかったのに(笑)


普段は家の中でひっそりとモグラのごとく制作する日々を送っているので、おしゃべりだけど、こうした場は慣れていません。
なのでどうぞ温かい目と耳でよろしくお願いいたします。

ひとつ注意として挙げておきたいのですが
おそらく、一般的に多く活躍されていらっしゃるフリーランス、イラストレーターさんたちとはちょっと違うやり方をしているみたいなんです。
だからこれからの皆さんの進路のガイドライン的な話にはならないかもしれないんだけど


絵を描いていて、絵を好きで、なんとか卒業後もやってる人間の一例として、私自身のことを時間内でお話します。
また「こんなんでもそれなりにやってるらしいね」ぐらいの目安として聞いておいてください。
制作を続けていってヨタヨタながらも続けてたらなんとか形になるんだよ、ってことが伝えられたらいいなと考えています。(introduction)







5年前ほどから突然「イラストレーター」と呼ばれるようになりました。
きっかけは、地元当別でやらせてもらった個展で、北海道医療大学という医療と看護系の学校があって
そこの施設でやったんです。
「歯の健康プラザ」というある意味すごい場所をお借りしたわけですが
そこを管理運営していらっしゃった口腔外科の教授が、私のハガキを人づてに手に入れて興味を持ってくださって
「人集めに一役かってくれ。展示の協力は全面的にするから」ということになったんですね。



(画像:エレニ)


そのときのDMを偶然見たある出版社の方がご来場くださって
「本のカバー絵をちょっと描いてみない?」
3冊一気にやりました。

(画像:てけれっつのぱ・極道の紋章)

一冊めは、時代小説。二冊目は、ヤグザ小説。これはVシネの監督がシリーズ化するために描いた作品だとかで、
紋章ひとつにしても色々気を使った思い出がありましたね、怖いから。
3冊目は、おばあさんの自伝。自主出版。随分と異なったスタイルの作品ですよね。


そのあと、ブログで私の絵を見たライターさんからも挿画と装丁の依頼がありました。

(画像:ロストラゲッジ)



イスラエルに当時居た方で、正統派ユダヤ人について書いた内容のお話だったので、これもまた宗教上気を使いましたね。
十字架は描くなとかね。
ある日、突然電話がかかってきたと思ったら、エルサレムからで「あんたこれどうなってんねん!!」といきなり怒鳴られたこともあったりして。
生まれてはじめての国際電話が、関西弁で叱られまくったという。



これがプロとしての始まりでした。







それまで何をしていたかと言うと
家でひたすら絵を描くことだけしかやってなかったんです。

専攻科2年の9月に辞めて、家族の了承を得て、バイトもしないで描いていました。

五年間、食べることと寝るところと画材の世話はみてやるから、
本気で作品作りをしてみること。

きっちり結果を出せる力がつくまでは、ファイルの持ち出しもダメ、バイトもダメ。
気がふれるくらいにやってみなさいと

そんな条件を出されて生活をしていました。




これもある意味キツかったですよ。


本の仕事が来たのはそういう生活をしだして3年目だったから、5年もかからなかったんだけど
5年たったからってプロになれるかという保証があったわけじゃなかったから
両親も私も、一体どうなってしまうのだろうと…


絵だけを描いていた割に、「どういう形でデビューするか」などの構想は全く立ててなかったんで
本当に「いきなりillustratorになっちゃった」のでした。

絵の仕事はしたいなあ、ってそりゃあ思っていたのだけども、
具体的なものなんて全然見当も付かなかったからね。


たとえば絵画コンペに出すとか、したらいいのかなー、と思っても
作品に似合ったそれを見つけられなかったし

じゃあ、個展でもしたらいいのかなー、っていったって
無名の私の展示なんて誰が観に来るだろう、と。


開いたはいいけれど、身内と少ない友達しか来てくれないんだったらいやだし。


そこで始めたのが、ブログでした。



ネットなら、不特定多数の人たちに観てもらえるし、つながりもできるし。
このブログには助けられました。


当時はツイッターでもミクシィでもなくて、ブログが一番新しかったんです。
やたら雑誌に紹介され
「HTMLが分からなくても気軽にあなたのページが作れます」ということでね。




周囲には「辞めなさいよそんなことは」とよく諭されたものでした。
仮想世界で発表したって、結局は仮想の話じゃないか、とか
苦労して作ったものを、そんな軽い感じで扱っていいのか、とか
人がやろうとしている事に水を差されて、腹が立つんだけど

一番カチンときたのは

「家にずっといるから、時間がたくさんあるのね~」っていう…。
そういう問題じゃないんですが、周辺の方々は理解しませんでしたね。


ネットも、絵も、コミュニケーションツールの一つに過ぎないのであって
とりあえず興味を持ってもらうためのきっかけ作りなんですよ。

ホームページやブログでみてから仕事をいただいたり、絵画の制作依頼が来たり、個展のお誘いが来たり。
バーチャルからリアルに持って行けるなら、どんな方法をとってもいいと思います。


皆さんも、時間があったら私のホームページとブログみてね。
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by obora | 2010-07-05 23:43
母校での講演予定だった原稿・・・2
それまであまりにも地味にしていたので、友達には「出家して坊主になったらしい」と噂され
お向かいのおばさんには「滅多に見かけなかったからてっきりご結婚されて…」
嫁ぎ先は東京だったらしいです。なんでじゃ。


ところが個展をしてからは変わった。


私自身は変わらないけれど、周囲が一気に動き出しましたね。
仕事をもらえるようになって、さまざまな人たちと出会うことになった。
人の出会いは芋蔓式で、あっというまに繋がっていく。ちょっと怖いぐらいでしたよ。
こんなに外の世界とリンクしていっていいのか。スピードについていけない。


「佐藤さん飲みに行こう」


誘われて行ったススキノで、「あんたの作品見たことあるよ!」なんて肩を叩く酔っ払いと出会う。
うっそ、ほんとにー!?うれしー!
私も酔っていいるのですかさず近づいて乾杯してしまう。

一晩飲み明かして、「お前こんなことできるかぁ~」べろべろに酔っぱらった後
「やるよおぉぉぉぉ~。じゃあ今度ファイルもって遊びに行きますうぅぅぅ」


その方の友達から仕事をいただいた、なんてこともありました。




一番周囲に驚かれたのは、やはりテレビコマーシャルに出たことですね…。


(映像:富士メガネCM))


私はただただ照れくさいばかりなんですが、これも個展がきっかけで受けたものです。
江別で小さな展示を細々やっていたのを、映像関係者の方が宣伝に気がついてくれて
プロデューサーの方といらっしゃいました。
富士メガネのコマーシャルで、「これから先の未来を見つめるあなたの瞳の力になりたい」みたいなコンセプトで
取り上げてくださったんでした。



滅多にない経験ですから、緊張したけれど楽しかったです。
私ひとりのために、スーツ着たエライ人たちがトレーに並んだいくつものメガネをもってくる。
撮影のための衣装合わせ、ヘアメイク。なんか勘違いを起こしそうでした。



富士メガネさんからのお仕事もそれがきっかけでいくつか担当しましたし
そこから派生したお仕事もある。スタッフの方とは未だに仲良くさせていただいています。


実際のテレビではその自分の姿を目にする機会は少なかったです。うち、テレビあんまり見ないので。
ただし、地元当別では有名になりました…。
これを機に、絵の仕事のことでうるさく言う人はいなくなりましたね。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

よく漫画で「締め切り」という言葉がありますよね。
私の仕事にも締め切りは当然あります。いつもヒーヒー言って苦労してます


一度3つの仕事の締め切りと、個展の搬入が重なって本当に死にそうになったこともあります。

そのうちのひとつは何度何度も駄目だしを喰らい、
おんなじ絵を5回以上描きなおしさせられてました。


そのときの個展会場は石狩市の大きな会場でアートウォームと富士めがね主催協賛の大切な展示で
出品数は100点強。
額居れも終わっていないという、
まさに修羅場でした。



額は器用な父が半分作ってくれていたのですけれども



「仕事と個展とどっちが大事なんだバカヤロー」



と怒鳴りながら木を切っている状態で
私は泣きながら呑気な田園風景のパース画を仕上げてたんですね。



立ちながら寝そうになったのはあのときが初めてでボロボロでしたけれど
今となってはいい思い出、いい経験ですけど。あんまり繰り返したくないですね、もう笑


・・・・・・・・・・・・・
あと、気になるお金の話をしましょう。サラリーマンのように決まった金額を手に入れるような生活ではないです。
レギュラーの仕事はともかく、単発のそれも多いわけで毎月変動があります。
良くも悪くもびっくらこくこともシバシバ。


一日があっという間に過ぎていきます。確かに充実もしてたし、目が回りそうだった。



目まぐるしく変化した周囲のなかに、私はちょっと我を見失いそうになりながら暮らしていた時期がありました。
その大半が、やったことのない内容。
来るもの拒まず。「はじめてやります。まだ慣れてません」その繰り返し。
「これって、イラストレーターの仕事の域を超えてるよなぁ…」って。
何でも屋になりつつあって悩んでましたね。


確かに、初めてお金に困らなくなって、嬉しかったです。



作品で得たお金というのは・・・・ずっと夢だったから。
でも漠然とした夢をというのは・・・・漠然としていますから…。実感を持てないままだった。



相手の求めるものにすべてを合わせているうちに、とても消耗していくのを感じていって
「使い捨てされちゃう」と強烈な不安を持ってしまった。
それは「お金稼げなくなっちゃう」という不安じゃないんです。

たとえ仕事が減って時間ができても、自分の絵すら描けなくなってしまったらどうしよう、という不安でした。



自分の中の方向が定まらないままなんとなくやってきてしまったツケを感じましたね。
柱を持たず動いていると、あっというまに崩れてしまう。
作品が面白いほどに、面白味が褪せていく。

そして相手も飽きて使わなくなってくる。

世の中は新しいものを追い求めているじゃないですか。
確かに便利だけど、予測できるものが仕上がってくるのは面白くないですよね。


ですから、考え方を変えないとダメだなと思いました。




相手の条件をすべて飲んで、仕事の量を増やそうとする方法ももちろんあります。
自分の作るものを優先させるかどうかは、それぞれのやり方があるでしょう。
私の場合は自分の納得する(絵と仕事にある程度の自負があるので)その点の折り合いはつけて妥協はしないようにしています。

相手の言いなりになったからとっいって、仕事がたくさん来るのかというとそうじゃない気がする。
逆に軽く扱われ、だんだん飽きられて切られていくことの方が圧倒的に多い。
少なくとも、私はそうだったんです。

広く知られるためには、一番自分自身を大切にすることなのかなと思ってます。


フリーランスで大変なのは、とにかく孤独であることです。
やり方や、何かトラブルがあった時、書類もすべて自分で考え対処して作らないとだれもしてくれないし
まだ若くで、女だし、気の抜けたとぼけた奴だぞ、というときにうまい具合に使われてしまう場合も無くもなかった。


私忘れっぽいので細かなディティールは覚えてませんが、(忘れっぽさにはある意味大いに助けられてます。)
悔しい思い、痛い思い結構しましたよ。大人ってズルイとか(笑)ヒドイワ、とか。

もちろんいい人たちには恵まれて、いい出会いが多い方です。
とっても助けられていますよ。


会社にいれば、同僚や上司が話を聞いてくれる。仕事のやり方を教えてくれる。
しかし一人でやっていると、同業者にはなかなか思いきった相談はできません。
「助け合おうよ」といったって、ライバル会社同士とおきかえたら、とても手の内は明かせないじゃないですか。
神経質なだけなのかもしれませんが、なるだけ自力で解決するように心がけています。


初めは外出もイライラしてダメでしたね。
街にでて、知り合いや友達とあうと
「やあ、活躍しているね」といいます。だいたい、言います。
「○○の仕事もしたらしいじゃない。がんばってるね」

でしばらく話していたら「その仕事って幾らもらったの?」「ていうか、くみちゃんてどのくらい稼いでるの」

この質問が辛くてねー。
なんで話さないといけなんだろ、どうして聞けるんだろうって思うんですよね。
普通の会社員にそんな質問普通にできるわけないでしょう?単なる好奇心とはいえ、無礼な人だなと昔は一々腹を立ててました。


彼らは、決して自分の財布の中身を知らせずに聞くんです。自分のことを守っていて人のプライベートに踏み込んでくるのよ。

いっぺん
「僕の年収は幾ら幾らで、今月はこんなに儲けて税金ガっパリ取られちゃったよ。
そんなわけで僕って超リッチなんだけど、くみちゃんはどうだった?」
・・・・くらい喋ってから訪ねてきてほしいです。


「絵じゃとてもやっていけないでしょう」とかね。「親御さんも大変ねえ」とかさ。
「お金持ちと結婚するっきゃないねー」とか?

悪気があって聞いてくるわけじゃないですので、怒れません。こういうのからも耐えないといけない。
敵も気軽に作れませんし(笑) 



しかしこんなことはまだ大した話ではないですよね。



ジブリアニメの「耳を澄ませば」を見たことがありますか?
あれを見ると号泣しちゃってグジャグジャになっちゃう。

作家志望の中学生が、必死になって一冊分の小説を書き上げるんです、受験勉強シーズンに。
お母さんは当然猛反対するの、“あんた何考えてんのよー”そしたらお父さんがこういうんです


「自分の信じるとおりやってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。何が起きても誰のせいにもできないからね」
って。



絵は、紙と鉛筆があればいつでもどこでも始められます。だから辞めることも簡単にできる。

「くみちゃんは好きな仕事ができていいよね」というのは、どんな時も中断させず描いてきたから。
みんなやめちゃうんだもん。辛いことがあったり、
難しいことが起こりそうになる寸前で、色々理由を付けてさっさと辞めてしまう。
辞める理由はたくさんあります。
「忙しいから」「生活が苦しいから」「子どもが生まれて」「カミさんがうるさくて」

やる人は何があっても続けている。
理由は一つしかない。
「好きだから」。



一人で仕事をする。愚痴を言い合える人もいない。
どんな状況でも基本は一人。デッドラインに追われるより、精神的なモノに追われる辛さは、ちょっと気が変になりそうな時もあるでしょう。
ずーーーーーーーーーーっとこもってやっていると息が詰まって「ワーッ」となります。私も一度や二度じゃないです。


電話の呼び出し音に一々ビクッとしたり、メールを開くのに気が重かったり。
「進み具合はいかがですか」
「もうそろそろできそうですか」
「これでもいいんだけど、イメージとまだちょっと違う」

仕事の催促
しめきり
ダメだし。

バイブの振動にとても敏感になっちゃいましたよ。



広いアトリエで作業しているならまだいいけれど、狭い部屋でずっと籠りっきりにやっていると4面がグワッと内側に倒れてきそうに感じて息苦しかったり。

私は応援してくれている家族がいるし、何でも話せる人もいる。
100人の友達より大切です。彼らがいなかったらと思うとぞっとします。



きっと、それが一番大変なことです。フリーランスというものは。ほかのフリーの方を実情は知らないけれど
そんな気がしますね。
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by obora | 2010-07-05 23:37
母校での講演予定だった原稿・・・3
で、先ほどからいっているように私は「イラストレーター」と呼ばれることが多いんですが
実際にイラストの仕事をしているわけですから、間違いはないのだけど
最近、それってどうなのかなぁと思うことが多くなりました。


というのは、私の一番の重要なプレゼンテーションの場が個展なんですけど
個展に出してる作品は、作品であって、イラストじゃないんですよね。


(画像:exhibition)


作品を見て、イラストの仕事が来ます。よく考えると、
今までのイラストの仕事をファイルしたものからはあんまり仕事にはつながってなくて
作品からくるんですよ、不思議なことに。


で、その個展会場の様子はというと
「グループ展なんですか?」という反応も多い。「グループ展じゃないの?」
一人でいろんなテイストの作品を作ってるからなんでしょうね。
「今の気分はこんな感じだな」とか「このイメージはいつものごちゃごちゃより、一色でやったほうが近いかな」
という感覚に沿ってつくっただけで
自然と色々になっちゃった、ってだけ



絵描きとして、テイストが定まってないのをマイナスに捕らえる人もいて、忠告してくれることもありますが
全く気にしてません。今年30歳になるから…血統からいって90歳は軽く生きそうなんで。
うちのおばあさん、去年100になってまだ生きてます笑


ていうか、絵のすごいところってそこで。歩けなくても手と目と頭が生きていれば死ぬまで現役で居られる。
それってすごいことじゃない?最大の魅力だよね。


そのばあさんも個展に来て私にこういいますね「絵で出世しなさい」と。
でも私はそのおばあさんが怖くて・・・100歳のメドゥーサ並みのオーラを背負ってる人でして
近くに寄ると石にされそうなんだよねぇ。




話がそれたけど、とにかく、好きに描いたものが私を外の世界と結び付けれくれています。




イラストって何だと思う?

本の挿絵もそうだし、「野菜の育て方」の図解もそうだし、取扱説明書のそれも全部イラストですよね。
イラストという言葉を、辞書で調べると「説明する」という意味があって
「絵」とは違うんだなぁと思うんです。
たとえば安西水丸さんがその辺の差別化をいろんなところでお話されているんだけども
最近理解できるようになったの。
自分がやってきたことと、イラストということとのギャップは常に感じていたから
喉のつかえが落ちた感じです。他人からどう呼ばれてもいいし、イラストレーターって言ったほうがわかりやすければ気になんないんだけど
自分の中の柱のしての考えは、「ペインター」であり「画家」で居るべきだなと思うようになりました。

いままでいろんな絵の仕事をしたけれど現在はそれも抑え目にして、絵描きとしてのほうに重点を置くようにしています。
イラストも、私の魅力を最大限に生かせるイラストのお仕事にとどめているし
実際そのほうが、クオリティの高い仕事ができてるような気がします。


「また画家とか調子に乗ったことをいっちゃって、夢見てんじゃないよ」とまたいわれそうですが
夢を見ることとは、根拠のない絵空事や単なる寝言とは違います。


今までのことを鑑みても
もうちょっとうまいことやれば、やれるなぁ、って思うんですよね、普通に。



それにどうして「夢をみちゃいけないのか」と思う。高校生ぐらいまでは「夢と希望を持ちなさい」といわれるのに
20代半ばになるとその逆を言われる。
「そんなことできるわけないでしょ」という人が、実際ひとつのことに長い時間をかけて没頭してやってみたことがあるのかは疑問です。
対外やったことのない人がいうと思うんだよね。





この就職難の時期、「仕事に夢を持つな」とよく言われます。
えー、どうしてだろー、と初めぎょっとしましたが、キチンと耳を傾けると、「そうだよなあ」私も納得します。

初めは皆使い物にはならないんです。
だからつべこべ言わずに何にでも使われなさい。それくらいの根性がなくてはどうしてその夢を実現できるんだと
そういうことなのではないかなぁと私は理解しています。

何もできないくせに、つらつら描いた理想をやろうとされても、会社としては困るんですが、って話だよね。



ただし、私のような仕事の場合はちょっと違います。


常に夢を持っていないと仕事にならないんです。夢が無くては成り立ちません。
心に楽しさや余裕を持たせることがとても大切で
その辺は一般企業に勤める人たちとは逆を考えます。
絵のテーマに入り込めずに、イライラしていると、とてもやっていけませんよね。


これもまた大変な話かもしれない。だって「何があっても楽しくしていないと」ダメなんですから・・・。
何時もベストな精神状態をキープすることも大切な仕事です。
ですからストレスはためないようにしているし、不安はなるべく早くに解決するようにするし
生活には気を使っています。

楽しさを追求することも同じぐらい重要ですよ。
逃避するためにある楽しさではなく…徹底して追求してるかも。

本、酒、音楽、写真、舞台、自転車、ネット、旅行。
気分転換も兼ねて、気になること興味のあることは調べたり直接出向いて行ったりしますし
それを絵にする時は、その時に得たイメージを形にできるまで何枚も描きますから。まだ足りないなぁ、もっと動かないとなぁと反省してます。
それでよく恥ずかしい思いや、相手に迷惑をかけてしまうことも度々あるけれど
好奇心は常にフル稼働させるようにしてます。不安が付きまとうのは当たり前ですから、悩みもなるべく早く解決させないといけないし…。


だから退屈なんてしたことない。それが仕事なんです。


今抱えている気持ちは、とてもストレートに、作り手が思う以上に作品に反映されます。
私は、心が病んでいたら仕事ができない。
たまに、能天気ではないシリアスな絵を作ることもあるんですよ。
その世界に入り込むことも当然します。ただ心もドップリ暗いままだと、もう救いようがないじゃないですかw

どんな作品も、第三者の目に触れて初めて存在価値が発生するから、そのためにも心の根っこはいつも明るく過ごしているつもり。
見る人へも、自分へも、優しさを持っていたいというか。それが客観性というのかなって思いますね。
客観性は必要です。



美術科を卒業して広がる職業はそれぞれで幅広く存在しますね。条件やその状況なども様々でしょうが

クリエイティブな仕事に就くなら、どんなときも夢をあきらめずに、夢を見ている状態にしておかないといけないと思います。
どんなに苦しいことがあってもそれを簡単に捨ててはダメなんです本当に。
言い訳したり、妥協もしちゃダメだ。


私は今日まで人にも環境にもとても恵まれてきました。
これからはどうなるかわからない。ひょっとしたら何か致命的なことが起こるとも限りません。絶対なんてないし。
でもこれからはどんなことがあっても、自分をあきらめないし、筆を折ることはしない。
それが周囲への恩返しにもつながっていくから、作ることは辞めないです。




この間、芸森でやってた片岡球子展にいった人います?(挙手させる)

私行ってきました。でさ、最後のほうのビデオ見た????
あれ、いいことおっしゃってましたよ。
「下手でもいい、画家としてやっていくと決めたらトコトン最後までやりなさい。そうすると必ず成功しますからと若い学生達に言うんです。」
正確な言葉は覚えていませんが、その様な事を言ってた。



こうやって、皆さんの前に立ってあれこれしゃべってる私も
やっぱりたまに不安になることがあって、非常に励まされました。タマコがいうんだから間違いない!って。





私は、元気の出るような作品を描きつづけたいです。
信条として「部屋に飾っても見飽きることのない一枚」を多く残せたらいいなと考えているんです。

せっかく生まれてきたんだから、絵で一回きりの大きなチャレンジをしてやろうと思ってます。



何かの機会にもし、「ひとは何のために生きているの」と聞かれたら 私は「自分を好きになっていくため」だと答えます。
それはなんとなく分かったんだよね。
自分を好きになると、人は私に話かけてきてくれる。そして今までやってこれたから。




どうして自分は絵を描くのか、何のために自己表現をするのか。制作をしているうちに、「自分って一体何者なんだ」など
考える時もあると思う。
もっと何か違うことができるはずなのに、と悩むことだってあると思う。

わからないから描くでよいんですよ。わからないからこそ、描く、作る。
わたしだって、自分のことなんて一番自分がよくわかっていないですから。

逆に10年そこそこしかやってないのに、絵を描いていなかったら今の私はいないし
ここに立ってお話なんてしてません。すごいことじゃないですか?19歳20歳の皆さんに自分の話をきかせてがんばれーと言ってるなんて
すごいことなんですよ。責任重大です。今日のことだけを考えても、私、絵を描いていてよかった。


それが将来へ繋がっていくのか?と聞かれたら、そうだと答えたい。かならずつながっていく。


「そういう衝動は人間の本性に従って、おのずから他人との間にかける橋ともなる」三島由紀夫も言ってたよw


もしいまあなたが夢を見てる仕事にそのまま就けなかったとしても
それでもあきらめないでほしい。それに関連した方角へは絶対にいける。そこでも自分のできることはきっとあるはず。
また、美術とは直接関係のないような世界に行こうとしてる人も、お母さんになろうとしている人も
きっとここで今勉強していることが役に立つ。



辞めれば、そこで終わる。皆辞めるから終わる。
本当にやりたい道を、人任せにしないで自分できちんと見つけてくださいね。
たとえ周りに「何考えてんだ」と言われてもどうかあきらめないで。続けていたら、なんとかなります。



あまり気張らずに、長くやっていってください。
自分の産んだ作品を、大切にしてくださいね。それは先にも話したように、皆さん自身でもあるのですからね。
あたしも地道にやっていきます。
海外で作品をアピールすることが今一番の目標です。去年シカゴで売り込みして、今年の初めにニューヨークのグループ展に参加しましたが
まだまだ。
海外だからハクが付くというんじゃなく、どこでもいいから一人でも多くの人に作品を見てもらいたいばっかりなんです。
やりたいこと、たくさんあります。
がんばります。
個展も札幌でやりますからね。その時はぜひいらしてください。





色々お話ししました。
少しでも参考になるところがあれば嬉しいです。
御清聴ありがとうございました。
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by obora | 2010-07-05 23:35